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2018年5月14日 (月)

言葉の移りゆき(27)

「打ち言葉」は単語レベルか、文体レベルか

 

 空間を飛び交う言葉の世界、狭めて言うと携帯メールのやりとりなどを、「打ち言葉」と言うことがあるのを知って、面白いなぁと思ったのは1年半ほど前のことでした。

 

 インターネット世帯別普及率が八割を超えたころに文化庁が実施した平成一三(二〇〇一)年度「国語に関する世論調査」における、日常的な人との「話しことば」以外のコミュニケーション手段について尋ねた結果を見ても、すでに世代差は明瞭です。調査当時の四〇歳台を境に若い世代は「携帯メール」、すなわち「打ちことば」が第一選択肢となっていますが、四〇歳台以上では「手紙・はがき」と「書きことば」が第一選択肢となっています。

 「打ちことば」は、基本的に互いの顔が見えない状態で行われる非対面かつコミュニケーションにタイムラグを伴う非同期的なものです。キーボード等を介するとはいえ「文字」によるコミュニケーションである点は、「書きことば」的です。

 (田中ゆかり『方言萌え!? ヴァーチャル方言を読み解く』、20161220日発行、岩波書店〔岩波ジュニア新書845〕、6768ページ)

 

 筆者は、この文章の後で、話すように打ちたいという欲求から工夫した、()()のようなカッコ文字や、顔文字や、絵文字などが「打ち言葉」の特徴の一つだと述べています。言葉自体がやわらかく、くだけた言葉が用いられ、極端に短い文になっていきます。そんな中で方言が、情的な価値を伴う特別な働きをするようになったとも述べています。

 ただし、〈「打ちことば」は、基本的に互いの顔が見えない状態で行われる非対面かつコミュニケーションにタイムラグを伴う非同期的なもの〉という指摘には、ちょっと首をかしげます。手紙であろうと、きちんとした文章で書かれるEメールであろうと基本的には同様であるからです。

 さて、「打ち言葉」という言い方を、それ以降、私は目にすることがありませんでした。久しぶりに、次のような記事に出会いました。

 

 インターネットやIT機器の広がりにあわせて、文字は手で書くものであると同時に、「打つ」ものともなりました。 …(中略)

 文化庁は3月、「分かり合うための言語コミュニケーション」という報告を出しました。その中で「おk」などを「『打ち言葉』の特性に由来する独特な表記」と位置づけています。

 「打ち言葉」は「書き言葉」の一種ですが、携帯メールやSNSでやりとりする際に用いられる「くだけた話し言葉的文体」のことを指します。

 東洋大学の三宅和子教授(社会言語学)は、こうした文体を「超言文一致体」と名づけました。その文体に用いられる独特の表記には、正しいとされる規範からあえて逸脱しようとする性格が見られるといいます。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年5月2日・朝刊、10版、13ページ、「ことばの広場 校閲センターから」、田島恵介)

 

 この新聞記事には「『おk』『草』…個性表現の形?」という見出しが付いていますが、こういうものを「個性」と言うのかどうか疑問です。文字を打つ際にはいろいろな試行錯誤をしているようですが、言葉をどう書くかという表記上の工夫だけです。個性を表現しようというような意図はなく、仲間とつながりたいという欲求を文字や記号に託しているだけだろうと思います。

 また、「打ち言葉」と言うのはともかくも、「超言文一致体」という名付けには疑問があります。「超」というのは、それの最も進んだものという意味と、それを逸れてしまっているものという意味とがあります。「くだけた話し言葉的文体」は、言文一致が最大限に進歩したものでもないでしょうし、言文一致でなくなってしまっているものでもないでしょう。そもそも、ここで言う「打ち言葉」は、文体を左右するほどのものでしょうか。単語のレベルから大きく離れていないように思うのです。

 いずれにせよ、今後、「打ち言葉」というものが、どのような意味で使われるようになるのか、興味を持って見守りたいと思います。

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