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2018年5月16日 (水)

言葉の移りゆき(29)

コラムの専用語「小欄」

 

 自分や、自分に関わりのあるものをへりくだって表現することは広く行われています。名詞でいうと、小生だとか拙宅とかの言葉があります。

 

 きのうの小欄で、公民権運動の指導者キング牧師に触れた。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年4月20日・朝刊、13版、1ページ、「天声人語」)

 

 新聞ではときどき、「小欄」を目にします。どのような記事にでも現れるのではなく、その新聞を代表するようなコラムに現れることがあります。

 上記の引用は、ごく普通の使い方ですが、次のような例に出会うと、文字(記事)がむくむく動き出したような、不思議な気持ちになります。

 

 はて、月に水があったのか、と首をかしげる小欄は、よほどの科学オンチである。北極と南極の表面に存在することは、人工衛星による観測ですでに知られていたようだ。

 (産経新聞・ホームページ、2018年5月4日、「産経抄」)

 

 コラムの執筆者自身を「小欄」と言っているのです。同様の言い方は読売新聞のコラムでも見たような記憶があります。

 欄の執筆者 イコール 「欄」であり、執筆者がへりくだることが「小欄」という言葉になるのでしょう。けれども、これに類する言葉はあるのでしょうか。これが成り立つなら、「拙宅はスーパーへ買い物に出かけた。」と言うのも許されることになるでしょう。

 思うに、コラムだけが、他の記事と区別して「小欄」という言葉を使うのはなぜなのでしょうか。「きのうのこの欄で…」とか「きのうの文章で…」と言えばよく、「首をかしげる筆者は、」と言えばよいでしょう。その新聞を代表するコラムだけが、やたら胸を反らしていて、えらそうに聞こえてしまいます。謙譲表現とは逆の働きをしているのです。

 

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