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2018年5月20日 (日)

言葉の移りゆき(33)

「半端でない」と「半端ない」

 

 俳優の西田敏行さんのインタビュー記事に次のような表現があります。

 

 北野武監督の「アウトレイジ最終章」も10月に公開される。関西を拠点とする暴力団幹部の西野。すごみを利かせながら、権謀術数を繰り広げる。こちらの存在感も半端ではない。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2017年9月22日・夕刊、3版、2ページ、石飛徳樹)

 

 この記事には「半端ではない」という言葉が1度だけ使われています。

 1ページの題字の下に、その記事が2ページに掲載されているということを知らせる欄があって、次のような見出しです。

 

 西田敏行 半端ない存在感 2面

 (朝日新聞・大阪本社発行、2017年9月22日・夕刊、3版、1ページ)

 

 ここでは「半端ない」という言葉に変わっています。しかも、「東野圭吾原作の映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』に西田敏行さんが出演。半端ではない存在感で、複雑な群像劇の扇の要になっている。」とあります。見出しだけが「半端ない」なのです。この記事を整理した人の愛用語なのでしょうか。

 不思議なことに、「半端ではない」演技をした映画は、2つのページで別々の題名が書かれています。

 2012年の文化庁の国語世論調査で「半端ない」が調査項目になったことに関連した、次のような記事がありました。

 

 調査を担当した文化庁国語課を訪ねました。若者の話し言葉の「半端ない」が書き言葉になり始めたのは00年ごろだそうです。担当者が国立国語研究所のデータベースを検索したところ、01年出版の雑誌に現れ、08年には多くのブログで目につくようになります。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2016年1月20日・朝刊、10版、13ページ、「ことばの広場 校閲センターから」、奈良岡勉)

 

 「半端ではない」を「半端ない」と置き換えることによって、失われたものがあります。「半端」すなわち、どっちつかずではっきりしないこと。それを「ではない」と打ち消すことによって、二重否定の強調表現になっているのですが、その語気は失せてしまいます。まして、上記記事に紹介されている「ぱない」とか「パネェ」という安易な発音は、何をか言わんやです。

 私は言葉の変化は肯定的に捉えているつもりですが、「半端ない」を受け入れるつもりはありません。私にとって「半端ない」という言い方は、なんとも不完全な、半端な言い方に聞こえます。

 

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