« 言葉の移りゆき(46) | トップページ | 言葉の移りゆき(48) »

2018年6月 3日 (日)

言葉の移りゆき(47)

掌上の「たたずまい」

 

 竹で作られた物差し、すなわち竹尺は、無機質な感じではない文房具です。私は、日常はプラスチック製のものを使っていますが、子どもの頃に手に入れた竹尺は捨てるに忍びがたくて、手元に置いています。

 竹尺の使い勝手をそのままに、真鍮でできた物差しがあるそうで、それを紹介した記事がありました。書かれている言葉の一言一言に同感して読み進めましたが、文末の言葉だけは気になりました。

 

 机の上に置いた時のたたずまいが昔懐かしく、これが何ともよいのだ。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年5月13日・朝刊、10版、23ページ、「そばに置きたい」、納富廉邦)

 

 このような狭い空間における「たたずまい」という言い方をときどき目にするのですが、その都度、こんな場面で使う言葉だろうかと首を傾げます。

 「たたずまい」は、立っている様子や、身を置くところなどを表す言葉です。動詞の「たたずまう」は、じっと立っている、立ち止まり続ける、という意味です。「歌のたたずまい」などと言うことがありますが、それは、その歌に詠まれている世界全体を表します。「生きているたたずまい」と言って、人生で過ごしてきた日々の流れを視野に入れて表現することもあります。激しい動きのあるものには使いません。ゆったりと落ち着いた、広がりを感じさせる言葉であると思うのです。宿場町のたたずまいとか、夕暮れ時の海岸のたたずまいとか言うように。

 さて、机上の竹尺は、ほんとうに狭い世界です。一つの物が部屋全体を引き締めるというような場合に「たたずまい」を使うのが、この言葉の限界で、掌の上か、それよりも少しだけ広い場面で「たたずまい」を使うのは、場面にそぐわない気がするのです。

 もっとも、この感覚は、私の方が間違っているのかもしれません。今では、掌上の様子にも「たたずまい」を使うようになっているのでしょうか。

|

« 言葉の移りゆき(46) | トップページ | 言葉の移りゆき(48) »