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2018年6月 9日 (土)

言葉の移りゆき(53)

「まんまんなか」のやわらかさ

 

 野球の実況中継でしばしば耳にする言葉に「どまんなか」があります。「速い球をどまんなかに投げ込む。」とか「ストライクゾーンのどまんなかの球を空振りする。」とか言っています。豪快な感じを「どまんなか」で表現しているのかもしれませんが、品のない言葉だなぁと思います。

 私の日常語では、「まあまんなか」と言います。「長椅子のまあまんなかに座る。」などと言います。「まあ()」を使う言葉には、他にも、「まあ後ろから声をかけられてびっくりした。」「まあ前にあるのに気がつかなんだ。」などがあります。「ま真ん中」とか「ま前」「ま後ろ」と言わないで、「まあ(まー)」と長音にします。しかも、「まあ(まー)」と次の言葉(「まんなか」「まえ」「うしろ」)との間に一呼吸を置くような言い方もします。「まあ(まー)」が次の言葉を修飾しているような感じです。

 この言葉について書いた文章に出会って、嬉しく感じました。

 

 子どもの頃、ふつうによくつかっていたことばに〈まんまんなか〉がある。

 〈まんなか〉を強調した言いかただが、いまでは日常語の中で、ほとんどきくことがないのは、少しさびしい。

 かわりに一般的になったのは〈どまんなか〉という言い方で、「いまのはどまんなかの直球ですね」などと野球の解説者が言う。いかにもずばっとしたことばの感じが好まれているようだ。むかしは「まんまんなかの直球」と言われてもいたのである。 …(中略)

 ひとがつかっているのはかまわないが、自分で口にするのをためらうのは、どこか恥ずかしいという気持ちがあるからだろう。

 (中央公論新社編『わたしの「もったいない語」辞典』、2018年1月25日発行、中央公論新社〔中公文庫〕、280281ページ、「まんまんなか」、小野耕世)

 

 一つ一つの言葉をどう感じ取るかは、人により異なることでしょうが、私はこの文章の筆者の考え方・感じ方に同感します。

 怒り狂ったときに相手を「ド阿呆」と怒鳴りつけるのは当然でしょうが、ごく自然な会話の中で「ド真ん中」は使いたくはありません。「まんまんなか」とか「まあまんなか」とかいう言葉にはやわらかさを感じます。

 「中心」という言葉には幾何学的なものを感じ、1ミリの狂いもないような位置を指しているように思います。同様に、「どまんなか」も、びしっと決めつけるような位置であるように感じます。

 「まんまんなか」「まあまんなか」は、ものごとの一番の芯になるようなところを指しているような、伸びやかさがあります。

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