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2018年6月14日 (木)

言葉の移りゆき(58)

「目が点」の意味は広がりつつあるのか

 

 「目が点になる」という言葉は比較的、新しい言葉です。だから、国語辞典を見ても説明がないものもあります。マンガで、目を点のように描いて、表情をあらわしたことがもとになっている言葉だと言います。

 そのことから考えると、びっくりする、驚くという意味が基本だろうと思います。拡大していけば、考えが浮かばなくなる、ポカンとしたりキョトンとしたりする、度肝を抜かれる、呆気にとられる、というあたりまで広がることでしょう。

 それにしても、この言葉の表す守備範囲はどこまでなのかが、よくわかりません。国語辞典はその範囲を示さなければならないでしょう。どこまで広がってもよいというものではありません。

 例えば、次の文章は、上に述べた意味範囲の中に入るのでしょうか。

 

 朝から晩まで同じ話を繰り返す。情報番組とはそんな風である。日大アメフト問題がようやく鎮火したら、次は「紀州のドン・ファン」変死事件。朝も昼もワイドショーはもちろん、NHKの「ニュース9」まで連日トップニュースで報道して、目が点になった。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年6月13日・朝刊、13版、29ページ、「キュー」、島崎今日子)

 

 この文脈で、筆者が何を言おうとしているのかは理解できません。「紀州のドン・ファン」事件をほとんどの局が、昼夜を分かたず報道したから「驚いた」ということを言っているようには思えません。そんな単純な意味ではないでしょう。「度肝を抜かれた」というのは大げさです。テレビ局が一つの事件に集中して放送することは、これまでの常套手段であったのですから。

 この文章を読んだ瞬間、私が感じたのは、(同じ話題ばかりが報道されるので)「視野が狭くなった」とか「他のものに目が行かなくなった」とかの意味だろうかということです。けれども、そういう用例があるのかどうか、私にはわかりません。

 

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