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2018年6月15日 (金)

言葉の移りゆき(59)

「伸びしろ」と「糊代」

 

 この頃、「伸びしろ」という言葉を聞くようになりました。スポーツに関しての場合が多いように思います。「この選手の伸びしろはまだ残されていると思う。」と評論したり、「私にはまだ伸びしろがあります。」と選手本人が言ったりしています。こういう文脈では、まだこれから伸びる余地(可能性)のことを述べているように思います。

 私は「伸びしろ」を聞くたびに「糊代」という言葉を思い浮かべてしまいます。「しろ」という造語成分は、「身代金」とか「飲みしろ」とかのように、代価・代金・代替品の意味をあらわしたり、あるいは、「糊代」とか「縫い代」とかのように、あることをするために確保しておく必要な部分のことを言ったりしていました。それが従来の使い方であると思うのです。

 民泊のことが話題になっていますが、仲介サイトの社長へのインタビュー記事がありました。スポーツなどで使われるのと同じ用法です。

 

 「まだまだ伸びしろはある。今は東京や大阪、京都に集中しているが、地方で増やせる。簡易宿泊所の許可を取った物件もある。旅館やホテルなど既存の施設の掲載も増やしていく方針だ。パリやロンドンなどと比べても伸びる余地があると考えている」

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年6月13日・朝刊、10版、26ページ、「聞きたい 田辺泰之氏」、森田岳穂)

 

 この談話において、「伸びしろ」と「伸びる余地」は同じような意味で使われていると思います。「糊代」や「縫い代」は、糊を付けたり縫ったりすることによって、全体は狭まります。それに対して「伸びしろ」は広がっていく可能性を表しています。この言葉は見過ごして構わないようにも思いますが、なんだか変だなぁという気持ちも残ります。

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