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2018年6月20日 (水)

言葉の移りゆき(64)

「想定」ということの不安定さ

 

 大阪北部を震源とする地震が起きました。関西にとっては阪神淡路大震災以来の大きな地震ですが、大震災以降は、さまざまな災害を「想定」した訓練などが増え、それなりの効果をあげていると思います。

 「想定」という言葉は、仮にある状況や条件などを考えてみること、という意味です。起こっていないことを予め考えるということです。

 大阪府教委が府立高校入学者に、英語の「スピーキングテスト」を在学中に課す方針を決めたというニュースがあり、そのテストの内容や取り扱い方が紹介されていました。

 

 受験教育を手掛ける民間事業者に委託して独自のテストや教材を作り、教員自らが評価する想定。

 (毎日新聞・大阪本社発行、2018年6月16日・夕刊、3版、11ページ、芝村侑美)

 

 たぶん府教委の発表に「想定」という言葉が使われていたのでしょう。評価という重要なことを「想定」(どうするかは確定していない)というレベルで考えて、テスト実施そのものを決めてしまうというのは粗っぽいやり方です。公立学校のテストや教材を民間事業者に委ねてしまうということ自体に違和感を覚えますが、「教員自らが評価する」ことも想定に過ぎなくて(つまり、仮に考えただけであって)、そうでないこともありうると言っているようです。教員が評価するのではなく、ひとりひとりの生徒を民間事業者が評価する可能性もあるのでしょう。

 同じ記事には、英語授業に詳しい大学教授の話というコメントが添えられていました。

 

 話す能力を鍛えるには目的や場面、状況などを想定しながら自分で考えて話す経験が重要。

 (出典は上記に同じ。)

 

 こちらの「想定」はごく自然な意味で使われています。何の違和感もありません。

 大災害の場合の「想定」と、教育の場における「想定」とを同じように考えてはいけないでしょう。人智を超える災害に「想定」で対応するのは仕方ありませんが、教育の場の生徒たちを「想定」で左右するのは望ましいことではありません。

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