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2018年6月26日 (火)

言葉の移りゆき(66)

人は「届けられる」存在か

 

 大阪北部地震では、駅と駅の間で緊急停車した列車に長時間閉じこめられるということが起こりました。JR西日本では143本の列車が停止し、その乗客数は約1万6千人だと発表していましたが、その後、閉じこめ乗客数が約14万人であったと訂正したというニュースがありました。「他の数字と取り違えたとみられる」というのが理由のようですが、まったく常識はずれです。大都市近郊の通勤時間帯の電車の乗客が、1本につき100人程度ということはありえないということに気づかなかったのかと、驚くほかありません。

 さて、そのことを伝えるニュース記事の中に、こんな言葉がありました。

 

 徐行運転で最寄りの駅まで乗客を届けた列車もあったが、一部は乗客を列車から下ろし、社員の誘導で社員の誘導で線路沿いを歩いて避難した。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年6月20日・夕刊、3版、9ページ、波多野大介)

 

 ひとつの文の中の動詞の使い方が気になります。列車が「届け」、係員が「下ろし」、乗客が「避難した」というように、主語がめまぐるしく変わる文になっています。

 それとともに「乗客を届けた」という言い方が気になります。品物は届けるものでしょうが、乗客は届けられるものでしょうか。小さな子供を「学校に送り届ける」と言うことはありますが、大のおとなを「駅に届ける」と言うでしょうか。「送り届ける」と言えば違和感は緩和されますが、「届ける」とは、物を持っていって先方に渡す、という意味です。

 人を「届ける」というのはおかしいと思いますが、「届ける」には、運ぶという意味が含まれていますから、運輸機関の働きとして「届ける」という言葉を使いたくなったのかもしれません。乗客を運ぶという言い方は、普通に行われているからです。

 さて、「乗客を届けた」という表現は避けてほしいと思いますが、どう言えばよいのでしょうか。「届ける」という一語に置き換えることができる言葉は、すぐには見つかりません。とっさに思いつくのは、「(乗客を乗せたまま)運転する」というような言い換えしかありませんが…。

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