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2018年6月30日 (土)

言葉の移りゆき(70)

我田引水の文章

 

 中元の季節が近づいて、それに関する文章を目にする時期になりました。その中にこんな文章がありました。

 

 ギフトコーディネーターの冨田いずみさんによると、お中元は3年は続けるのが礼儀という。1度だけ贈りたい場合は「お礼」として。時期を逸したら「暑中御見舞」、その後、9月初旬までは「残暑御見舞」として贈る。西日本では8月前半までは「お中元」、その時期を過ぎたら「残暑御見舞」。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年6月26日・朝刊、10版、22ページ、栗田優美)

 

 ここに書かれている内容のすべてが驚きです。ギフトコーディネーターという肩書きにどのような権威があるのかは知りません。けれども、お中元は3年は続けるのが礼儀とか、1度だけの場合は「お礼」とするのだというのは、どういう考えに基づいて述べているのか理解ができません。ギフトコーディネーターというのが公式の肩書きであるのなら、その業界の都合が働いているのかもしれません。

 「お中元」の時期を逸したら「暑中御見舞」、9月初旬までは「残暑御見舞」として贈るというのは、手紙・葉書のことをうまく利用して言っているのでしょうか。それとも、他に、独自の理由があるのでしょうか。

 もしかしたら、お中元という習慣も、バレンタインデーのチョコレートも、立春の巻き寿司の丸かじりも、このような業界宣伝から発祥しているのかもしれません。言葉の起源・発祥として考えると、ささいなことがどのように拡大していくのかという面白さはありますが、どうも無責任な発言のように思われてなりません。

 このような記事は、誰かの個人的な考えを広めるのではなく、記者がじゅうぶんに吟味してから書くべきではないでしょうか。

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