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2018年6月24日 (日)

地域の言葉について思うこと(4)

擬声語や擬態語

 

 携帯電話のことは漢字で書くほかに「ケータイ」と書く用法が広がっています。「ケイタイ」「けーたい」「けいたい」は広まっていません。どうして「ケータイ」だけが広まってしまったのかというのは興味のあるところです。

 震災をきっかけに広く使われるようになった「みぞう」も未曾有という漢字で書かれることは少ないように思います。

 私たちは、言葉を仮名書きにすることによって、もともとの言葉の意味や由来を忘れてしまうことがあります。その言葉の由来や成り立ちを意識しないままで、その言葉を使っていることもあります。

 雪が「こんこんと降る。」と言うときの「こんこん」は何なのでしょうか。「こんこん」という言葉には、今は漢字で書かなくても、「昏々と眠り続ける」とか、「泉が滾々と湧き出る」という表現があります。けれども「雪が〇〇と降る」の場合の漢字はないようです。このような形容動詞にはもともとは意味に沿った書き方があったのですが、雪の降り方には漢字がありません。純粋な擬声語や擬態語なのでしょうか。「咳がこんこんと出る。」とか「ドアをこんこんとノックする。」とか「狐がこんこんと鳴く。」は擬声語ですが、雪はこんこんと音を立てるのでしょうか。(「雪や、来む、来む」という呼びかけだという説を、どこかで読んだ記憶はあります。)

 関西の言葉には、擬声語や擬態語が多いと言われます。「百メートル歩いてから、きゅっと右へ曲がって進め。」と言われたとき、どのような行動をするでしょうか。わずかに進む方向を変えるのではありませんが、くるっと引き返すような方向になるのでもありません。ほぼ真横に向かって、機敏に方向を変える動作を表しています。擬声語や擬態語を漢字で書くことはしない(できない)のが普通です。

 食をテーマに開かれているイタリアのミラノ国際博覧会へ行ってきたという新聞記者が書いた文章を、コラムで読んだことがあります。

 

 「だしスープの実演です」とスタッフが呼びかけると、イタリア人ら一〇〇人余がわらわらとステージ前に集まった。鍋につけた昆布やだしのとりかたを土居さんがイタリア語で話し、カップでだしを配ると、「ボーノ(おいしい)!」とあちこちから。

 「予想以上の食いつき」と土居さん。

 

 「あちこちから。」で文を終わりにするのは報道の文章などにはよく見られるのですが、品の良い書き方ではありません。また、「予想以上の食いつき」というのは、ちょっと乱暴な言葉です。たとえ土居さんがそのような言葉を使ったとしても、別の言葉に置き換えて書いてほしいと思います。けれども、それはそれとして、言いたいのは別のことです。

 「わらわらと」という言葉は普段はあまり使いませんが、「わらわらと集まる」というのは、どういう様子なのでしょうか。

 『広辞苑・第4版』の「わらわら」の説明は、「散りみだれるさま。ばらばら。」です。一箇所からあちこちへ散らばっていく場合には使うでしょうが、あちこちから一箇所に向かって集まる場合に使うことがあるのでしょうか。

 『日本国語大辞典』の「わらわら」は、「①乱れたさま、破れ乱れたさまを表す語。②陽気なさまを表す語。」と書いてあります。①の意味なら、やっぱり破格です。もしかして筆者は、②の意味で、陽気なイタリア人が浮き浮きしながら集まってきた様子を書いたのでしょうか。けれども、文脈から②の意味をかぎ取るのは難しいと思います。

 『日本国語大辞典』には方言の意味も書かれています。それを見ると「急いで走るさま」や「あわてて走るさま」という意味で使う地域があるようです。東北地方や茨城、静岡の地名が記されています。ひょっとしたら、この文章の筆者はその地域の出身者なのかもしれません。

 「わらわら」は、広く使われていた言葉が使われなくなったのか、日常生活ではほとんど使わない言葉であるのか。どちらにしても、「わらわら」を使った文章の意味を前後の文脈から意味を類推することは困難です。けれども、私たちは、そんなことに気も止めずに文章を読み過ごしてしまうことも多いように思います。

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