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2018年7月 8日 (日)

言葉の移りゆき(78)

「密着」の気持ち悪さ

 

 「密着」という言葉は、ぴったりとくっつくことを表しています。愛し合っている男女ならともかく、一般に人は、他の人から密着されるのは気持ちのよいことではないと思います。

 ところがテレビは、「密着」して取材することがまるで手柄であるかのように、この言葉をふりかざして宣伝文句に使います。「密着」は褒め言葉であり、評価を高めることであるかのように聞こえます。

 どれほど気楽にカメラを回していても、取材が1週間続けば、それは「1週間の密着取材」という言葉になるようです。言葉どおりに「密着」すると、取材される側は悲鳴をあげざるをえないでしょう。

 ところが、そのようなテレビ用語を、受け売りで新聞も使い始めています。

 

 俳優の佐々木蔵之介(50)が、カンボジアの農園でコショウづくりに情熱を傾ける日本人に密着取材した。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年6月14日・夕刊、3版、2ページ、杢田光)

 

 これは宣伝広告の文章ではありません。きちんとした記事です。新聞記者はどこまで確かめたのか知りませんが、密着取材をしたのだと言っています。

 文章を読むと取材の様子は述べられていますが、俳優自身は「私は密着取材をした」とは言っていません。記者がテレビ局の宣伝文句をそのまま使って、番組を盛り上げようとしているように感じられます。

 しかも、この記事の見出しは、〈カンボジアで「夢」密着 / 佐々木蔵之介 コショウづくり取材〉となっています。人に密着したというよりは、その人の夢に密着したというのです。心の中まで密着されたらたまりません。

 現今の新聞は、客観取材や客観表現という立場を離れて、宣伝媒体という立場に傾斜を深めていっているのでしょうか。芸能だけでなく、スポーツ記事にもこの傾向は顕著であるように思います。

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