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2018年7月13日 (金)

言葉の移りゆき(83)

「一般の人」という書き方

 

 若くして名を知られている人がいます。例えば、芸能人、スポーツ選手、評論家、研究者、……と並べて、それらの人が結婚するという報道をする場合、相手が「一般の人」であるという書き方をするでしょうか。評論家や研究者の結婚相手は「一般の人」であっても、ことさらに「一般の人」とは書かないでしょう。スポーツ選手の相手を「一般の人」と書くことはあるかもしれませんし、書かないかもしれません。

 ところが芸能人の場合は、ずいぶん様子が異なります。「一般の人」と結婚するのが特異な現象であるかのように書かれます。そのような書き方は、記者の偏見であるのかもしれませんし、芸能界がそのような世界であるからなのかもしれません。

 こんな記事がありました。

 

 「一般男性と結婚」が気になる。「一般」の反対語は「特別」「格別」などだ。この女性はメディアへの露出も多い「特別な人」だが、結婚相手はそうではない。だから相手への取材などは控えてほしい、という意味合いを発表資料に込めているように思える。ならば、記事に「一般」と書く必要があるのだろうか。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年6月20日・夕刊、3版、6ページ、「ことばのたまゆら」、前田安正)

 

 芸能人を特別視するのなら「特別」と言ってよいかもしれませんが、私たちの大多数は、いわば一般の人間です。一般の人をわざわざ「一般」と言う必要はあるでしょうか。特別だ、一般だと区別しようとするから、芸能人の相手を「一般の人」と言いたくなるのでしょう。上の記事の文末は、〈「〇〇さんが結婚したことが明らかになった」で、十分じゃないかな。〉と結ばれていますが、その通りだと思います。

 もうひとつ言うならば、芸能人の結婚を一大事件のように報道しようとする姿勢こそにも問題があるということに気づいてほしいと思います。

 上の記事に、「相手への取材などは控えてほしい、という意味合いを発表資料に込めている」とありますが、発表資料を読むのは限られた人だけでしょう。

 限られた人向けに資料を配り、その限られた人が記事を書くのであって、ファンが取材をするわけではありません。狭い世界で記事は書かれており、記者は「一般の人」「特別な人」と意識してしまうような土壌の上にいるのでしょう。

 読者が知りたがっているから書くのだ、という論理は捨てて、書くべきか書かざるべきか、書くならどう書くべきかということをじゅうぶん吟味してほしいと思います。

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