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2018年7月14日 (土)

言葉の移りゆき(84)

「特別」への疑義

 

 前回に続いて、「特別」について考えます。出発点は次のような記事です。

 

 「障害者」の表記について、「害」ではなく「がい」や「碍」にした方がいい、という議論がある。2010年の常用漢字表見直しの際にも「碍」を入れて「障碍」という表記にすべきだとの意見が出た。「碍」には「さまたげ」という意味がある。 …(中略)… そもそも目の不自由な人にとっては「しょうがい」という音をどう表記するかではなく、ことばそのものに疑義があるかもしれないのだ。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年6月13日・夕刊、3版、6ページ、「ことばのたまゆら」、前田安正)

 

 表記の問題ではなく「しょうがい」という言葉を使うことに疑義があるという論旨に同感です。

 さて、今、特別支援学校というものがあります。法律で決まっているからでしょう、全国の学校の校名が盲学校、聾学校、養護学校から、視覚特別支援学校、聴覚特別支援学校、特別支援学校に改められました。どうしてここに「特別」の語を加える必要があるのでしょうか。小学校や中学校が一般であり、障害児学校は特別だと意識が働いているからでしょう。都道府県の中には、「特別」を省いて視覚支援学校、聴覚支援学校、支援学校という名称を使っているところがありますが、その方が自然に聞こえます。

 今となっては信じられないかもしれませんが、()文部省はこの分野の教育を特殊教育と称していました。平成10年代でも、横須賀市にある国の研究・研修機関の名前は国立特殊教育研究所でした。一般の教育からはずれた特殊なものだという意識があったのでしょう

 「特殊」を「特別」に替えても、国の体質は変わっていないように思います。地方公共団体が「特別」を省いて、支援学校と称することの方が望ましいように思います。

 「しょうがい」と同様に「支援(教育)」という言葉が望ましい言葉であり続けられるかどうかということは、別の問題として存在しますが、「特別」という言葉は排除するのがよいのではないでしょうか。

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