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2018年7月16日 (月)

言葉の移りゆき(86)

文化財とは何か

 

 文化財保護法は、有形文化財、無形文化財、民俗文化財、埋蔵文化財などの章にわかれています。実際の調査などに費やされる予算は、埋蔵文化財には多額が注がれますが、民俗文化財は軽んじられています。目に見えるものが重視され、目に見えないものは軽視されているのです。国も都道府県も市町村も、習俗や方言・俚言の調査・保存に力を入れているところは稀少でしょう。

 こんな記事がありました。

 

 文化財保護法の改正案が国会で可決され、来年4月から施行される。文化財を町づくりなどに積極的に活用していこうという趣旨だが、観光への活用ばかりが注目されている印象だ。5月に東京で開かれた日本考古学協会の研究発表会でも、様々な疑問の声が上がった。

 大阪大の福永伸哉教授は「文化財に『勝ち組』と『負け組』が出てくるのでは」と、文化財の価値が話題性や集客力で評価されることに懸念を示した。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年7月13日・夕刊、3版、10ページ、「葦 夕べに考える」、今井邦彦)

 

 目に見える文化財でもこの通りです。目に見えない文化財の価値などは無視されているに等しいのです。「勝ち組」「負け組」というように区別するなら、民俗や言葉という貴重な文化財は、はじめから「負け組」に分類されているのです。

 体育には教育的要素が強いのですが、スボーツは金儲けの手段に堕しています。国全体がそちらに向かって急傾斜しています。体育の日をスボーツの日と改める、オリンピックの日程は報道や投資の観点から決められる、大学もスポーツを宣伝の材料にする……。

 それと同じことが、文化財にも起こるとすれば、「文化財保護」という言葉は換骨奪胎です。文化財を商売にされたのではたまりません。そして、目に見えない文化財(言葉や習俗など)が消え去ることなどを何とも思わないようになったら、日本の伝統も文化も風前の灯火になるでしょう。

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