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2018年7月19日 (木)

言葉の移りゆき(89)

「えげつい」と「えげつない」とは同じ意味

 

 「半端ない」という言葉の原点が滝川二(滝川第二高等学校)のサッカー選手であるとするなら、この言葉は私にとっては、ずいぶん身近なところから発祥したということになります。

 滝川第二高等学校の所在地は神戸市西区です。神戸市のうち垂水区と西区は、もとは明石郡であった地域が神戸市に合併したところです。明石郡は旧・播磨の国に属します。言葉でいえば播磨方言の地域です。もっとも、滝川第二高等学校は私立高校ですから、生徒の出身地に制限はありません。この言葉を発した生徒がどこの出身であったのかは知りません。

 そうではありますが、「半端ない」を播磨方言の使い方と関連して考えておきたいと思うのです。広く言えば関西方言全体とも関連しているかもしれない事象です。

 「えげつい」という言葉を例にします。えげついとは、思慮分別や思いやりがなくて露骨である、図々しくて下品である、というような意味です。「えげつい勝ち方をした」と言えば、ルールから外れていないが、褒められた試合展開ではなかったということです。その場合、「えげつい」という言い方の他に「えげつない」という言い方もあります。「えげつない」の方が使用頻度は高いかもしれません。「えげつい」=「えげつない」。つまり、「ない」という部分が有っても無くても同じ意味なのです。

 似たような例を探してみます。「おもろい漫才を見た」は「おもろないな漫才…」と同じであり、「しんどい仕事をした」は「しんどないな仕事…」と同じであり、「どくしょい(無慈悲な)叱り方をする」は「どくしょないな叱り方…」と同じです。「ない」が有る場合も無い場合も意味に変わりはありません。性質・状態や、感情・感覚などを表す言葉(すなわち、形容詞や形容動詞)にはこのような用法が、方言にはあるのです。

 形容動詞に広めて言えば、「元気な走り方をする」は「元気ないな走り方…」と同じ意味と受け取ることができます。

 そこで、ちょっと言い過ぎになるかもしれないことを敢えて言います。「半端な力しか持っていない」は「半端ないな力…」と言っても同じ意味になります。そのように考えると「半端ない()」は評価を低めて言っているということにもなりかねないのです。

 滝川二の選手が口にした「半端ない」は、「半端ないな」と言っていないから、褒め言葉として使われたことに間違いはないでしょう。けれども、播磨方言(関西方言)を使い慣れた者からは、逆の意味を思い浮かべることがあっても不思議ではないということを言いたかったのです。

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