« 言葉の移りゆき(90) | トップページ | 言葉の移りゆき(92) »

2018年7月21日 (土)

言葉の移りゆき(91)

災害の「現場」に「はいる」

 

 同じ言葉であっても、その言葉に対する受け取り方・感じ方は、立場の違いなどによって異なるものです。そのことは承知しているのですが、敢えて申したいことがあります。

 学校というところを、教育の「現場」だとする言い方があります。この言葉は、実際に学校に勤務している人が使うというよりは、むしろ教育研究者や教育委員会職員が使うことが多いように思います。

 教育の理論ではこういうことが考えられるが、実際の教育の姿はこうなっているというような場合に「現場」という言葉を使ったり、あるいは、教育理論ではこうなるのだから実際の教育指導の場ではそのように行ってほしいというような場合に「現場」という言葉を使ったりするようです。しばしば「現場」を使いたがる人もあれば、そうでない人もあります。

 教育委員会職員が使うともっと高飛車な姿勢を感じます。指導の歯車となっている教員はしっかり指導せよというような場合、あるいは何かの問題が生じた場合などに、「現場」を使うようです。指導の相手先が「現場」の教員であるのです。

 さて、教育に関することとは違うのですが、西日本豪雨の報道に際しても、この「現場」を耳にしました。現場から中継するとか、カメラが現場に入るとかの言い方は、ずいぶん耳障りな表現です。ここには、報道機関は中央(都会)に構えていて、事件・事故があるとその場所(地方)に立ち入るという姿勢が感じられます。もちろん大都会の真ん中で事件・事故が起きることもありますが、その場合も拠点を構える報道機関が真ん中にそびえていて、そこから当該の場所に立ち入るという印象です。

 「私は今日、現場にはいりました」とか、「初めてカメラが現場にはいったので、その映像をお届けします」とか言っています。まるで手柄を立てたような言い方です。その場所に着いたことを、なぜ「はいる」と言うのでしょう。周りのものをかき分けて「はいる」という印象、中央から堂々とやってきて「はいる」という印象、そんなことを強調しているように聞こえます。謙虚さが欠ける表現です。その場の状況を伝えさせていただいているのだという姿勢ではありません。困難をおして報道してやっているのだというような姿勢は排除してほしいと思います。

 追加を一つ。慇懃無礼な表現も耳にします。のど自慢などの公開収録番組などで、しばしば「今日は兵庫県明石市にお邪魔しています」というような言い方を耳にします。

 「明石駅前の〇〇商店にお邪魔しています」というのは自然な表現です。実際に、〇〇商店には、営業上の迷惑をかけているかもしれないのです。(それが宣伝効果になるというのは別問題です。)

 のど自慢の収録を明石で行ったとしても、市民全体に何の迷惑もかけていません。それを「明石市にお邪魔する」というのは、言葉の柔らかさを装いながら、逆に放送局がその町へ行ってやっているのだということを述べているように感じられるのです。「今回の会場は明石市です」と言う方が、うんと爽やかです。

|

« 言葉の移りゆき(90) | トップページ | 言葉の移りゆき(92) »