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2018年7月28日 (土)

言葉の移りゆき(98)

「鵜と鵜匠」の「鵜ィン・鵜ィン」の関係

 

 前回の話題「鵜の目」の「鵜」についての話です。鵜飼と言えば、鵜が飲み込んだ魚を吐き出させて漁が成り立っているのだと思っていました。けれども……。

 

 首縄を調整して、複数匹飲み込んだうち、胃に入るものと喉に残るものを分けているそうです。つまり、鵜は食事をしながら、仕事をしているというで、首縄も鵜のその日の体調によって調整されるのだとか。今風に言うと鵜匠と鵜は「ウィンウィンの関係」です。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年7月2日・夕刊、3版、6ページ、「猫派ですが、」、湊かなえ)

 

 鵜飼とは、飼い慣らした鵜を使って、夏に、篝火をたいて鮎などを寄せて獲る漁のことだとは衆知のことであり、テレビ番組でも鵜匠に取材したものも放送されています。けれども、この文章に書いてあるような内容は見聞したことがありません。

 国語辞典にはそのようなことは書かれていませんが、そこまで詳しく書かないのは当然のことかもしれません。百科事典にも書かれていないかもしれません。

 けれども、書き加えるとすればわずか1行ほどの内容です。手元にある国語辞典を何冊か引いてみると、ほとんど同じような記述になっています。

 この「鵜飼い」の一件で感じたことは、国語辞典の説明の中には、項目によっては、ごく普通の説明を踏襲して、新しみを加える必要はないと判断して書かれているもの、すなわち、マンネリ化している項目もあるのではないかということでした。

 なかなか定義しにくい言葉「右」「左」、「上」「下」、「東」「西」などの名詞には様々な工夫が凝らされ、多様な意味を持つ動詞も詳しく解説され、微妙な意味合いをそなえた形容詞・形容動詞などもわかりやすく説明されている辞典が増えました。けれども、当然のような説明に終始している言葉にも、改めて目を向ける必要があるのかもしれません。

 国語辞典は、編集者と読者(利用者)にも「ウィンウィンの関係」がなければなりません。

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