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2018年8月11日 (土)

言葉の移りゆき(112)

業界用語を、一般の人の日常生活に引っ張り出す人たち

 

 「ビジネスプランのフィジビリが、コンサバ過ぎると言われたので、リバイズしたものをマージしてデリバラブルにした」

 マーケティングやコンサルティングの業界では、こんなせりふが日常の会話に飛び交うとか。この意味、わかりますか?

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年7月11日・夕刊、3版、6ページ、「ことばのたまゆら」、前田安正)

 

 「この意味、わかりますか?」と尋ねられても、わかりません。わかるはずがありません。

 そして、もうひとつ、わからないことがあります。どうして、このような記事を書くのでしょうか。その理由が、わかりません。

 どのような業界にも、業界用語があるのは当然でしょう。「マーケティングやコンサルティングの業界では、こんなせりふが日常の会話に飛び交う」としても何の不思議もありません。その業界では、それが「日常の会話」なのです。

 わけのわからない業界用語を、一般の人の目に触れさせようと画策するのは放送や新聞・出版などに携わる人のやることなのです。まるでそれが報道の正しいあり方であるかのような装いで、一般の人の目に触れさせようとします。その結果、いくつかの業界用語が、一般の日本語の中でも使われるようになることがあります。それは、その言葉を報道した人の手柄になるのでしょうか。

 業界用語を無理に日本語全体の中に注入しようとすることは止めた方がよいと思います。わざと画策しなくても、望ましい言葉であれば、自然と日本語全体の中で使われ始めることがあるでしょう。けれども、その言葉は、片言のように聞こえるカタカナ語ではありません。

 業界用語は、業界の中にいる人たちが意志疎通のために使う言葉のはずです。その業界の人であっても、一般の人を相手にして、こんな言葉を使うことはないでしょう。業界内の能率のためにも、特殊な言葉が使われてもおかしくはないと思います。

 けれども、その内輪だけの言葉を、広く報道するのはどういう魂胆に基づくのでしょうか。その言葉を日本語の中に定着させてやろうと思っているのでしょうか。それは、思い違いです。業界用語は業界内で命脈を保っていればよいのです。

 不思議なことに、この同じ記事の中には、次のような表現があります。

 

 feasibility study(実現可能性の予備調査)をフィジビリ、conservative(保守的な、控えめな)をコンサバという具合に、外国語を省略することもある。この時点で、外国語は立派な日本語に変身している。いくらカタカナを使って外国語風を装っても、ことばはすれ違う。しかし、「うそっぽい話も外来語を交えると、なぜか本物らしく聞こえてしまう」と小嶋さん。

 (出典は、上記に同じ)

 

 「この時点で、外国語は立派な日本語に変身している。」という筆者の見解と、「うそっぽい話も外来語を交えると、なぜか本物らしく聞こえてしまう」という引用文。引用文は、筆者が同感するから引用しているはずです。このような考え方の人が、新聞を作っているのかと考えると、空恐ろしくなります。NIEの活動によって、新聞を教室で使うことにも警戒心を持たなければならないでしょう。

 この記事の見出しは〈飛び交う業界用語にやれやれ〉となっています。やれやれと思うような言葉を報道する価値はありません。

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