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2018年8月13日 (月)

言葉の移りゆき(114)

片言の文字遣いに馴らされてしまって

 

 (101)回に「固有名詞の『盛り合わせ』」ということを書きました。今回も似たような話題です。

 

 最近の教育のキーワードに「STEM(ステム)」がある。科学、技術、工学、数学の英語の頭文字を取った。AIをはじめ、テクノロジーがどんどん進化して新たな地平が生まれている。教育でもこの分野に力を入れて将来この道に進む人を増やそうというわけで、米国・オバマ前政権が打ち出した。要は、社会を変えるであろう最先端の分野、といえるかもしれない。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年8月9日・朝刊、10版、12ページ、「ザ・コラム」、秋山訓子)

 

 「社会を変えるであろう最先端の分野」ということに異論はありません。けれども、「STEM」などという言葉を使って、それを「教育のキーワード」と言って良いのでしょうか。

 新しい言葉、それもカタカナ語やアルファベット略語をいち早く使うのは報道機関です。まるで時代の先端を歩んでいるかのように、何の疑いもなく、これまで使われていなかった言葉を平気で使います。大体は、欧米追随の言葉です。

 「STEM」は、日本の社会から生まれた言葉ではありません。筆者も「米国・オバマ前政権が打ち出した」ことがわかっていながら、無批判にこの言葉を読者に提示しています。教育に対する考え方が間違っていると言っているのではありません。日本語に対する認識がおかしいと思います。

 アメリカで生まれた「STEM」などという言葉を、日本の社会に押しつける必要はありません。古風に見えるかもしれませんが、科学、技術、工学、数学の頭文字を連ねた「科技工数」の方が、うんと落ち着いた言葉です。それを古風だと感じるとすれば、「STEM」などというアルファベットばかりの略語の洪水の中に、人々が導かれていってしまったからに他なりません。人々は、そんな片言の文字遣いに馴らされてしまって、古来の日本語を奪われつつあるのです。

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