« 言葉の移りゆき(121) | トップページ | 言葉の移りゆき(123) »

2018年8月21日 (火)

言葉の移りゆき(122)

「ありのまま」の欠如

 

 NHKテレビで放送された番組を評した記事がありました。「病院ラジオ」という番組のことです。

 

 患者さんや家族は赤裸々かつ淡々と、病気や家族への思いを語る。2人も笑ったり突っ込んだりうなずいたり。お涙ちょうだいにせず、普通に話すのが良かった。

 あおるようなナレーションもなく、心臓移植を待つ16歳の女の子が移植に成功した方の話に目を輝かせたり、リクエスト曲をBGMにリハビリで歩けた人の笑顔が弾けたり、院内をありのままに見せたのもよかった。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年8月18日・朝刊、13版、14ページ、「TVがぶり寄り」、和田静香)

 

 大阪の国立病院の中庭に2日間だけラジオ局を開設し、患者さんや家族に話を聞いてリクエスト曲を流すという番組を取材したドキュメンタリーのことです。「2人」というのは、「サンドウィッチマン」という芸人さんのことです。

 「2人も笑ったり突っ込んだりうなずいたり。お涙ちょうだいにせず、普通に話す」、「あおるようなナレーションもなく」、「院内をありのままに見せた」という表現を読んでいて、現在のテレビ番組の多くが、その反対の位置にあるように思いました。

 つまり、出演者の喜怒哀楽の感情をおもてに出し、言葉はなるべく大げさなものを選び、あおりたてるような発音に終始し、画像は都合の良いところだけを切り接ぎして、しかも、何度も同じ場面やナレーションを流す……それがテレビの演出であるかのように誤解している人が多いのです。だから、その対極にある番組を見ると、心休まるのでしょう。

 大げさな、意図的な誇張は、ニュースのような客観姿勢を貫くべき番組ですら汚染されてしまっているように思います。テレビ番組を作っている人たちは、それに気付いていないのです。

 ラジオ番組にも誇張はあります。けれどもテレビほどには汚染されていません。「ありのまま」の度合いが、ある程度、保たれているのです。

 テレビの「汚染」の源はテレビ自体であり、テレビはその汚染の拡大再生産を繰り返しているように思います。宣伝効果を上げて、スポンサーからの収入を得ることが目的ですから、ますます、あらぬ方向へ突っ走っていくのでしょう。CMの部分だけでなく、番組自体が宣伝媒体そのものになり下がってしまっているのです。NHKですら、自己PRに血眼になっているのも気がかりです。

|

« 言葉の移りゆき(121) | トップページ | 言葉の移りゆき(123) »