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2018年8月23日 (木)

言葉の移りゆき(124)

公立高校が活躍する大会に

 

 100回を迎えた全国高等学校野球選手権大会は、何か月も前から全国の新聞で特集記事なども組まれて、お祭り気分に巻き込まれた感じでした。それが終わりました。

 今大会では、久しぶりに昔に戻ったような紙面に出会いました。

 ひとつは、秋田魁新報の2018年8月21日・電子版号外です。見出しは、〈金足農 準優勝 / 悲願の大旗に届かず〉です。誰がヒーローだなどという言葉はありません。先発メンバー9人の氏名・学年・出身中学校名が書かれています。全員が秋田県内の中学校の出身です。みんなで勝ち得た準優勝こそ称えるべきことです。ヒーローが生まれることが大会の目的ではないでしょう。

 もうひとつは、日本農業新聞の2018年8月21日・電子版号外です。見出しは、〈金農 殊勲の準優勝 / 感動ありがとう / 大阪桐蔭に2-13〉です。文章の末尾には「金農は、甲子園と農高に新たな伝説を刻み、次への扉を開いた。」と書かれています。全員のひたむきな努力が新しいページを開いていくのです。将来のプロ選手が生まれるかどうかということが大会の注目点ではないでしょう。人々は、強いものに感動しているわけではありません。

 けれども、新聞や放送の報道は、勝ち負けにこだわり、特定の選手の活躍ぶりを特筆します。観客や読者はほんとうに、そんなことだけを求めているのでしょうか。高校野球の精神はどこへ行ったのでしょうか。

 100年記念の記事は新聞にあふれていましたが、前身の全国中等学校野球大会がどのような目的や趣旨で生まれ、それが100年間どのように受け継がれてきたかということを詳しく報じる記事には出会いませんでした。第何回の大会でどの学校とどの学校が対戦し、どんな名勝負であったというような記事は数限りなくありましたが、この大会の教育的価値などが語られることは少なかったように思います。強い学校に注目し、ヒーローを称え上げるという姿勢に終始していました。その傾向は100回を迎えて、ますます大きくなっています。

 あるテレビ番組は、金足農業の18人の選手は全員が秋田県内の出身であるのに、大阪桐蔭の部員は北海道から沖縄に跨り、18人の選手のうち大阪府内の出身は5人だけだと伝えていました。勝つために全国から選手を集めることに、どのような教育的価値があるのでしょうか。かつては、熊本県の代表になった高校の18人に、熊本県出身者はゼロであるということが話題になりました。

 スポーツマンシップとかフェアプレイということが話題になりますが、高校野球にはフェアな精神が欠如しています。それは選手に欠如しているのではありません。大会関係者に欠如しています。学校の所在地だけで、その都道府県の代表校になるという慣行は改める時を迎えているでしょう。その都道府県の在住している生徒が、代表にならなければなりません。「スポーツマンシップ」や「フェアプレイ」は、言葉だけでなく、実質が伴わなければなりません。

 高校野球が大学野球やプロ野球に繋がり、商業主義に彩られたものであるのなら、野球部を柱にしている学校を集めて、全国私立高校野球選手権大会を、神宮や東京ドームで開催すればよいでしょう。その場合は、生徒の出身地などは問いません。どうぞ、全国から選手を集めて、チームを編成して戦ってください。

 金足農業のような公立高校が活躍できる大会がよみがえってほしいと願います。このようなチームが脚光を浴びるのが何年とか何十年とかに一度であってはなりません。

 それにしても、名だたる私立高校をなぎ倒して進撃した秋田県立金足農業高等学校の野球部はほんとうに立派でした。

 

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