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2018年9月 1日 (土)

言葉の移りゆき(133)

「仕切る」と「仕切り」

 

 動詞は、連用形にすると体言化して、もとの動詞を名詞の意味に変えることができます。「走る」が「走り」になり、「読む」が「読み」になるなどです。たいていの場合は、動詞の意味とかけ離れることはありませんが、例外もあります。

 

 鹿児島県の三反園訓知事が、7月下旬にブラジルであった現地県人会との夕食懇談会の席上で、会の仕切りをしていた旅行会社の女性社員を呼び捨てにして怒鳴りつけていたことがわかった。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年8月1日・朝刊、13版、27ページ)

 

 この文章で、「仕切りをしていた」というのは、どういうことをしていたのでしょうか。小型の国語辞典で「仕切り」を引くと、〈区切ること。取引や帳簿をしめくくること。相撲で、土俵上の力士が立ち合いの身構えをすること〉というような意味が並んでいます。上の文章では、会場を区切る作業をしていたとは考えられません。

 一方、「仕切る」という動詞は、上記の名詞の意味に対応する意味の他に〈ある範囲内の一切を掌握し、責任を持って処理する〉という意味が書かれている国語辞典はありますが、必ずしもすべての国語辞典に載っているわけではありません。

 つまり、〈ある範囲内の一切を掌握し、責任を持って処理する〉という動詞の意味がじゅうぶんに認知されていないのですから、〈ある範囲内の一切を掌握し、責任を持って処理すること〉という名詞の意味は、ほとんど認知されていないように思います。

 それにしても、このような記事で、「仕切る」「仕切り」というような俗っぽい言葉は避けた方が良いでしょう。

 話題は転じますが、「…ことがわかった。」というのは、どういうことを表しているのでしょうか。「…ことがあった。」という文脈では書けないのでしょうか。

 「…ことがわかった。」という言葉から受け取る印象は、我が社は他社より遅れて情報を得たということか、もしくは、私は取材の努力をしなかったけれどそんな情報が耳に入ったということか、ともかく、あまり褒められたことではないということを言い訳がましく呟いている感じです。

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