« 言葉の移りゆき(136) | トップページ | 言葉の移りゆき(138) »

2018年9月 5日 (水)

言葉の移りゆき(137)

自分で「お若いですね」と思ったら「年齢同一性障害」?

 

 年齢を重ねると、自分の様子が他人にどう見えているかということが気になるものです。こんな文章を読みました。

 

 「お若いですね」。社交辞令だとは知りつつも、そう言われると悪い気はしない。しかしあるとき「ちょっと待てよ。このせりふは、若い人には使わないよな」と思ったとたん、見かけを褒められその気になっていた自分が、気恥ずかしくなった。ちょうど平坦な道でつまずいた時のように。友人は「そこまで考えなくても、素直に受け止めれば?」と言ってくれたのだが……。

 岩波書店「広辞苑第七版」の編集者平木靖成さんに話すと「中古の建物を美築と言ったり、中古品を美品と言ったりしますしねえ」。「えっ、それはやや難ありを言い換えたってことなんですか」「まあ、そういうことかもしれませんね」。ショック! 聞くんじゃなかった。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年4月18日・夕刊、3版、6ページ、「ことばのたまゆら」、前田安正)

 

 それならば、他人に判断されるまでもなく、自分から進んで若い姿をして、自分で納得しておればよいのかもしれません。ところが、おっとどっこい。意外な敵が現れました。

 

 団塊世代の周辺で最近話題になっているのが「年齢同一性障害」という言葉だ。「性同一性障害」で悩んでいる方も多いので、心して使わなければならない言葉ではあるのだが、「生きている限り青春」と思っている世代は年を取った自覚が少なく、年齢と行動形態が伴っていないという意味なのだという。

 (毎日新聞・大阪本社発行、2018年7月27日・夕刊、4ページ、「もう一度花咲かせよう」、残間里江子)

 

 「年齢同一性障害」とはずいぶん大げさな言葉だと思います。若いのに老成したように見える人もこの範疇に入るのでしょうか。

 それはともかく、何でもかでも、障害だの症状だの病気だのと名付けたくて仕方のない人がいるのでしょう。そんなことに名前を付けなくてもいいだろうと言いたくなります。けれども、病名がわからなくては不安だというのが患者の心理であるとすれば、何かの名称を付けて、世の中には同類の人がいるのだというのも、安心感をもたらすひとつの方法かもしれません。そんな気持ちになるのは、やっぱり老年期に入った証拠なのでしょうか。

|

« 言葉の移りゆき(136) | トップページ | 言葉の移りゆき(138) »