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2018年9月10日 (月)

言葉の移りゆき(142)

 

「否定も肯定もしない」とは

 

 手に入れるのが困難なコンサートチケットをめぐって、ネット販売サイトでチケットを買い占めるプログラムの実態が明らかになったというニュースがありました。業者の男性と話をしたという記事に、こんな表現がありました。

 

 男性は「客から依頼を受けたチケットの購入を代行しているが、買い占めはしていない」と説明する一方、買い占めプログラムの使用については「否定も肯定もしない」と語った。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年9月3日・朝刊、13版、31ページ)

 

 「否定も肯定もしない」という言葉は不思議です。相反する二つの言葉「否定」と「肯定」の両方を打ち消しているのです。

 このような取材に対して、「ノーコメント」という答えもあり得るのですが、ノーコメントというのは悪印象を与えてしまいます。質問に対する答えを拒否しているからです。買い占めプログラムを使っていることを公言したくないから、ノーコメントと言っているのだろうという推測が成り立ってしまいます。

 それに対して「否定も肯定もしない」というのは、質問に答えているから悪印象は緩和されます。けれども、あいまいな答えです。

 「否定しない」イコール「肯定する」、ではありません。「肯定しない」イコール「否定する」、ではありません。けれども、否定しきれない事情が存在するのでしょう。「否定も肯定もしない」というのは、全否定と全肯定の間で揺れているということでしょう。買い占めプログラムの使用をしなかったわけではないというのが本音なのでしょう。

 「南海地震は10年以内に起こるかもしれない」ということについて、「否定も肯定もしない」または「否定も肯定もできない」というのはやむを得ないことです。未来のことですから断言できないのです。それに対して、買い占めプログラムの使用についての質問は過去の事柄に関することです。過去のことを「否定も肯定もしない」のは、明らかにできない事情が存在するということを表明したことになるのでしょう。

 「否定も肯定もしない」はきちんと答えたことにならず、尋ねた人に推測を促してしまいますから、結局は、「ノーコメント」と同じような結果になるのではないでしょうか。

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