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2018年10月 5日 (金)

言葉の移りゆき(167)

文化は「ひまネタ」、言葉はもっと「ひまネタ」

 

 初めて聞いたり見たりした言葉でも、一瞬のうちに意味が了解される言葉があります。「ひまネタ」という言葉は、どのような広がりで使われているのか知りませんが、意味はよくわかります。

 

 電柱や電線が、たとえば奈良や京都のような古都の景観を阻害しているとして、時に電線の地下埋設が話題になります。が、喫緊の事案でもないからか、そうした議論も一向に熱を帯びません。メディアにとっても、文化は「ひまネタ」なんですね。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年9月26日・夕刊、3版、4ページ、「こころの水鏡」、多川俊映)

 

 まったく同感です。

 一般の新聞が、スポーツ新聞に化してしまっています。スポーツ面が何ページも何ページもあって、同じ大会や同じ選手のことがトップニュースから社会面に至るまで埋め尽くされることは日常茶飯事です。スポーツ新聞を購読しているつもりはないのですが、スポーツの話題満載の新聞を読むように仕向けられているのです。スポーツ記事は、翌日になったら価値を失いますから、その日に記事を満載するのです。それが何日も続きます。

 新聞や放送が報道をするときの優先順位は、一般の人たちの感覚とは大きくかけ離れています。テレビのニュースでは、大谷選手が大リーグでホームランを打ったという一瞬の出来事の方が、その日の日本のプロ野球の6試合全部の試合経過より大事であるようです。新聞も大同小異です。

 新聞において、文化に関することはまったく軽く見られているジャンルのようです。その文化の中でも、埋蔵文化財に関することは大きく取り上げられても、言葉や民俗に関することは軽視されがちです。言葉や民俗習慣のような目に見えぬもの、絵にならないものに、価値が見出せないようです。だから、ときどき「ひまネタ」として掲載されるのです。

 人々にとってどんな大事な話題であっても、1本のホームランや、水泳の日本新記録や、大相撲のゴタゴタのニュースの前には、割愛されてしまうか、後日掲載という扱いにされてしまう話題なのです。

 球場に待ちかまえて、その日の試合経過を大きく報道しようと燃えている記者たちの心は、選手の一瞬のプレーによって、見事な記事や写真になって結実し、新聞の何ページも独占することになるのです。

 それに比べて、文化に関する記事は……ということは、もう、書くまでもないことでしょう。

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