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2018年10月14日 (日)

言葉の移りゆき(176)

肩をすくめる」はどういう意味?

 

 獣医学部新設問題について、加計学園理事長がやっと会見を開いたというニュースを読んでいて、おやっと思う表現に出会いました。

 

 与党側からも疑問の声があがる。自民党の閣僚経験者は「なぜこの時期に会見したのか。野党に(臨時国会での)攻撃材料を与えるだけだ」と首をかしげた。中堅議員は「安倍首相への不信感は根雪のように解けないが、野党もモリカケ問題を追及しても支持率が上がらない」と肩をすくめた。

 (朝日新聞・大阪本社発行、201810月8日・朝刊、13版、2ページ)

 

 「肩をすくめる」とはどういう意味でしょうか。中堅議員は、「しまった」と思っているのでしょうか、それとも「ざま見ろ」と思っているのでしょうか。自民党の議員が、野党の支持率が上がらないことを残念がるはずはありませんから、「肩をすくめ」て嬉しい気持ちを表したと言うのでしょう。

 「肩をすくめる」という成語を取り上げて説明している国語辞典は少ないのですが、『広辞苑・第4版』には、次のように書いてあります。

 

 肩をちぢませる。やれやれという気持や落胆した気持を表す。

 

 辞書の説明文に間違いはないのでしょうが、ずいぶん意味を広く考えているようです。

 説明文前半の「やれやれという気持」というのは、どのような気持ちでしょうか。「やれやれ」というのは、心が疲れたり困惑したときの、がっかりした気持ちを表すとともに、ほっとしたり喜び(安堵感)を表すときにも使います。

 説明文後半の「落胆した気持」というのは、期待通りにならなくて失望する様子を表しています。

 合わせて考えると、「肩をすくめる」には、安堵感もありますが、落胆する気持ちを表す方が多いように思うのです。〈肩をちぢませる〉のであって、〈肩を怒らす〉のではないのですから。

 この段落の文章は「与党側からも疑問の声があがる。」という趣旨で書かれています。野党が追及しても野党の支持率が上がらないことを喜んでいるのです。そうすると、「肩をすくめる」のこの用法は、新しいもののように見えます。

 この文章の「肩をすくめる」は、野党が追及しても効果は上がらないだろう、それ見たことか、というような気持ちのようです。大きな笑い声をこらえつつ、肩を控えめに小刻みに揺らしつつ、その嬉しさを表現している態度のように読みとれるのです。内心は、「ざま見ろ」という気持ちを膨らませているのかもしれません。

 議員の心中を推し量ったように書きましたが、それが目的ではありません。この表現を用いた記者の心中(意図)を推し量りたいと考えているのです。

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