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2018年10月25日 (木)

言葉の移りゆき(187)

「〇〇らしくない」とは、どういう人間像か

 

 男の子は男の子らしくとか、学生は学生らしくとか、政治家は政治家らしくとか言うのは、古い時代の残滓であるようには思います。

 それにしても、次の記事には驚きます。

 

 「みずほらしくない人」を今年の採用基準に掲げたみずほフィナンシャルグループ。内々定を出した学生の資質を調べたところ、狙っていた「創造的思考力」の高い人材が多かったという。   

 ITと金融が融合する「フィンテック」時代に前例踏襲型の銀行員ばかりでは立ちゆかないとして、「みずほらしくない人に会いたい。」をキャッチフレーズに採用活動を展開。坂井氏は「とんがった人材が採れた。異業種との戦いが始まるなか、変化を好み、新しいものをつくり出す集団に変わらなければならない」と話した。 …(中略)

 とんがった若者を受け入れる「懐の深さ」(幹部)が組織に問われることになる。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年9月5日・朝刊、13版、7ページ、榊原謙)

 

 「みずほらしくない人」という否定的な表現が採用基準であるとき、その言葉の真意はどの程度理解できるものでしょうか。これまでの「みずほ」の会社像をすべて、ひっくり返すような意味ではありますまい。それでは、具体的にどのような人間を求めているのでしょうか。

 「みずほらしくない人」を今年の採用基準に掲げたというのならば、前年まで採用基準にしていた「みずほらしい人」の像を提示しなければなりますまい。そうでなければ、これは採用基準ではなく、単なるキャッチフレーズに過ぎません。

 記事から推察します。「みずほらしくない人」イコール、「創造的思考力の高い人」あるいは「変化を好み、新しいものをつくり出す人」というのなら、そういう言葉を採用基準に書けばよいでしょう。前年までは、〈創造的思考力の高い人〉や、〈変化を好み、新しいものをつくり出す人〉を採用しようとしていなかった懺悔のようにも聞こえます。

 この採用基準を、長年にわたって勤めている行員はどう受け止めたのでしょうか。かつての採用基準が否定されて、古い行員の人間像は望ましくないものにされているという苛立ち? それとも、わずかの新規採用者が異なった個性の持ち主であっても、いずれは古い行員に同化されてしまうという安心感?

 それにしても、「とんがった人材が採れた」とか、「とんがった若者を受け入れる『懐の深さ』」とか言うときの、「とんがった」の意味が具体性を帯びていません。細く鋭い感覚を持った人? 鋭敏な神経で感情的な人? 言葉や態度が荒くてきつい感じの人? 相手を刺すような鋭さを持った人? それとも……?

 創造的思考力のある人や、変化を好み新しいものをつくり出す人を、「とんがった」人とは言わないでしょう。「とんがった」という言葉も、キャッチフレーズの域を出ていないように感じるのです。

 この記事の見出しは、いみじくも、こんな言葉です。「『みずほらしくない人』=創造的?」

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