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2018年10月26日 (金)

言葉の移りゆき(188)

「とんがった人材」と「とんがった大学」

 

 前回は、「とんがった人材」について言及しました。「とんがった」という言葉の意味が具体的でない、すなわち、意味範囲が絞られていないと思います。国語辞典でどう説明するかとなると、困るのではないかと思うのです。

 関連して、「とんがった大学」という言葉も見つけました。

 

 大学や入試の改革は何度も必要だと言われてきたし、進めるべきだが、なかなか変わらない。だから、私はまず京都学園大をとんがった学園にし、風穴を開けようとしている。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年9月19日・朝刊、10版、13ージ、「永守重信のメディア私評」、永守重信)

 

 この記事には、コラム欄があって、次のような文章があります。

 

 ●「とんがり大学」を探す

 親しい経営者や大学の学長、教授らに独自の教育をしている「とんがり大学」がどこかを聞いている。たとえば、国内では先端的なコンピューター教育をしている会津大学や、グローバル人材の育成に特化している国際教養大学などだ。

 (出典は、上記と同じ)

 

 この記事でヒントになるのは、〈風穴を開ける〉とか、〈先端的な教育をしている〉とか、〈人材の育成に特化している〉とかの言葉です。

 前回(187)では、〈創造的思考力が高い〉とか、〈変化を好み、新しいものをつくりだす〉とかの意味が強いのかと感じたのですが、具体的には、その場面(シーン)がどんどん広がってしまいます。

 結局は、「これまでに行われていないことを、新たに行う」ということが、「とんがった」の意味に相当するのでしょうか。風穴を開けるために、特化して、先端的に取り組む、その具体的な内容はさまざまですが、それらをひっくるめて「とんがった」と言っているのでしょうか。

 けれども、仮にそう考えたとしても、そういう意味内容に、なぜ「とんがった」という言葉を当てはめなければならないのかという点では、まだ納得がいきません。

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