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2018年11月 6日 (火)

言葉の移りゆき(199)

願望の押し付け

 

 ときどき見かける言葉遣いですが、それがいくつも並ぶと、心の中を押し付けられているように感じてしまいます。こんな広告がありました。いくつものツアー企画の一つ一つに添えられている言葉です。

 

 一生に一度は泊まりたい至極の宿ミステリー4日間

 人生で一度は見てみたい14景 充実の四国

 加賀・飛騨一度は訪ねたい8名所

 (読売新聞・大阪本社発行、201810月9日・夕刊、3版、Bページ、広告特集、クラブツーリズムの広告)

 

 「泊まりたい」「見てみたい」「訪ねたい」というのが、ツアーを企画した人の願望であるのなら問題はありません。その場合は、広告などを出さずに、企画者本人が旅に出ればよいのです。

 これが広告である限りは、あなたは「泊まりたい」「見てみたい」「訪ねたい」という願望を持っているはずだと押し付けているのです。「泊まりたい」「見てみたい」「訪ねたい」という気持ちを持たないのなら、あなたはおかしい。願望を持って旅に出るべきだと言っているのです。そうでなければ、こんな広告を出す必要はありません。

 考えてみれば、広告はすべて、このような心理操作を行っているのかもしれませんが、こんなに次々と言われたら、反発する気持ちも湧いてきます。

 この広告には、他に、「ご好評により出発決定多数!」「総合満足度93%」とか、不思議な言葉で満たされています。あなたにとっても好評なはずだ、あなたも満足するはずだ、と言わんばかりの表現です。

 誇大広告が問題となって、その規制も行われるようになりました。けれども、旅に出て、その旅に満足するか不満の心を持つかについては、個人差が大きいと思います。願望やその達成感については、誇大広告であるかどうかの判定は難しいと思います。だから、旅行企画の広告は何を言っても良いのだ、という考え方でキャッチフレーズを作られたのでは困ります。

 旅先の各地の魅力を語りかけるような広告は作れないのでしょうか。広告を受け取る側の心に寄り添った表現はできないのでしょうか。計画は粗製濫造で、人数を集めて「はい出発」というようなツアーはそろそろ反省期に入っていると考えるべきではないでしょうか。

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