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2018年11月 8日 (木)

言葉の移りゆき(201)

「当局」から「放送局」へ、現代の伏せ字

 

 かつての時代の伏せ字は、「当局」の指示によるものが多く、教科書などにも墨が塗られたりして、印刷物の暗黒時代がありました。

 伏せ字は、明記することをはばかる場合に使われましたから、現代にあっても不思議ではないのかもしれませんが、そこには読者への配慮が無くてはいけません。

 テレビの画面には、制作者の勝手な思惑によって、あるいは視聴者に興味を抱かせるようにしむける作戦によって、「〇〇」のような表記が横行しています。そして、新聞の番組表(局別、時間帯別の表)にもその傾向が見られます。

 次は、一般の文章の中に「〇〇」の伏せ字が現れるかもしれないと危惧しておりましたが、遂に現実のものとなりました。やっぱりテレビ番組に関する記事です。

 

 徳光和夫の名曲にっぽん ★BSテレ朝 夜7・00 松原のぶえは、自分の命を救ったきっかけは、ある匂いだったことを告白する。麻倉未稀は、乳がんの早期対策を語る。また、橋幸夫が今一番夢中になっている〇〇を公開する。

 (朝日新聞・大阪本社発行、201811月2日・朝刊、13版、21ページ、「きょうの番組から」)

 

 現代の伏せ字は、当局ではなく「放送局」によって画策されているようです。しかも、意図が不純です。明記するのをはばかるから伏せ字にしているのではなく、その番組を見るように誘導するための方策に過ぎません。

 日本語に関する限り、勝手気ままにし放題となっているテレビ番組に歯止めがかかっている気配はありません。話し言葉が混乱している番組もありますし、画面の字幕が勝手気ままな番組もあります。それが新聞記事にまで影響し始めました。

 新聞社は、番組紹介記事を、他社からの配信記事としてそのまま載せるのではなく、自主的な規制をすべき時期に来ていると思います。

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