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2018年11月25日 (日)

言葉の移りゆき(218)

「レガシー(遺産)」の軽々しさ

 

 「遺産」という言葉には、人の死後に残された財産という意味と、過去の人が残した業績という意味とがあります。後者の場合には、文化遺産や自然遺産があって、ユネスコの世界遺産などは重々しいものです。

 ところが、最近は、遺産とはとうてい言えないものを「遺産」と称することが広がっています。とりわけ「レガシー(遺産)」という言い方を目にするようになりました。

 例えば、次のような例があります。

 

 2020年大会は、国連の掲げる「持続可能な開発目標(SDGs)」に準備段階から取り組む最初の夏季大会でもあります。大会のレガシー(遺産)としてユニバーサルデザイン社会や低酸素社会を作る。サマータイムはそのきっかけにもなる可能性があるからです。

 (朝日新聞・大阪本社発行、20181023日・朝刊、10版、13ページ、「耕論」、遠藤利明の言葉、聞き手は尾沢智史)

 

 スポ少は、日本体育協会(現・日本スポーツ協会)の創設50周年記念事業として産声を上げた。「スポーツを通じて子どもを育てる組織を五輪開催を機に根づかせよう」。その試みはレガシー(遺産)になる。初年度に753人だった団員は、86年度に112万人に達した。

 (朝日新聞・東京本社発行、20181021日・朝刊、12版▲、20ページ、「東京五輪物語」、中川文如)

 

 「レガシー(遺産)」という表現がオリンピック特有のものであるのかどうかは知りません。他にも使われているようには思いますが、オリンピックの広報のために使われているような気配があります。

 前者の記事では、ユニバーサルデザイン社会、低酸素社会、サマータイムなどは、これから取り組むものでしょう。まだ何ら成果の上がっていない段階から、それを「レガシー(遺産)」と呼ぶ神経が理解できません。

 後者の記事でも、スポ少(スポーツ少年団)の試みが「レガシー(遺産)」になると言っています。考え方は同じです。

 いろいろな試みの成果があがったら、後の時代の人がそれに対して「遺産」という称号を贈るのです。その試みを行い始めた側が、それを「遺産」と言うのは、思い上がりも甚だしいと思います。別の言い方をすれば、それは単なる宣伝文句に過ぎないということです。

 何とも軽々しい「レガシー(遺産)」という言葉です。こんな言葉が溢れていかないようにと祈るばかりです。

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