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2018年12月 1日 (土)

言葉の移りゆき(224)

「遺産」「負の遺産」の横行

 

 この連載の(218)回と関連した話題です。オリンピックが「レガシー(遺産)」なら、万国博覧会は「遺産」「負の遺産」です。開催する前から「遺産」を乱用していることにおいては、まったく同じです。

 

 約半世紀ぶりに気運が高まった大阪万博。2014年に当時大阪市長だった橋本徹氏と松井一郎・大阪府知事が大阪維新の会の政策として掲げ、議論に火が付いた。安倍政権が全面支援に転じると、地元は「負の遺産」となっていた大阪市湾岸部の人工島の活性化策と重ねた。 …(中略)

 08年五輪の開催地に立候補した際に、夢洲を選手村として使う計画も立てたが、誘致自体に失敗した。こうした経緯から、「負の遺産」と言われてきた。

 (朝日新聞・大阪本社発行、20181124日・朝刊、13版、3ページ、宮崎勇作)

 

 会期が終わって残るのはモニュメントではなく、会期中につながった人と人の知のネットワーク……。これまでの万博とはまったく違う「遺産」を、次の世代に引き継ぐことができるかどうか。そこに挑戦することに、日本開催の意味がある。

 (朝日新聞・大阪本社発行、20181124日・夕刊、3版、9ページ、多賀谷克彦)

 

 前の記事は大阪開催決定前の記事であり、後ろの記事は決定後の記事です。

 それにしても、開催はまだまだ先です。「遺産」というのは、何かがあってあとに残るものです。実施していない前から「遺産」という言葉を使うべきではないでしょう。実施しても、それが「遺産」に値するものになるかどうかすら、わからないのです。

 「遺産」だの「レガシー(遺産)」だのという言葉を軽々しく口にする人は、「遺産」の意味をきちんととらえていないのでしょう。あとに残れば、何でも遺産だという程度の理解でしょう。

 「遺産」というのは難しい言葉ではありません。けれども、この言葉は、前代の人々の業績や文化財を表す言葉であることを忘れてはいけません。何かが終わってあとに残るものがすべて「遺産」だというわけではありません。終わってから、時間の流れの中で評価されて、業績として認められるものが「遺産」です。上の記事のうち、後ろの記事の表現に沿えば、万博の結果を〈次の世代に引き継ぐこと〉をして、はじめて「遺産」として認められるかどうかが決まるのです。

 いま使われている「遺産」は、ほとんどすべて比喩的表現に過ぎません。まして「負の遺産」などという、矛盾きわまりない言葉も横行しているのです。「遺産」はプラス評価されたものにだけ使える言葉、マイナス評価をされたものには使えない言葉です。政治家が言葉を壊す役割を果たしているのかもしれませんが、新聞がその尻馬に乗る必要はありません。

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