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2018年12月 6日 (木)

言葉の移りゆき(229)

長文の問題点

 

 谷崎潤一郎には長文があることで知られています。文庫本で1ページの中に一つの文が収まりきらないという長文もあります。

 長文は、曲折した思いを述べたりするときには効果があると思いますが、一般には読者を迷わせます。現今の作家は長文を書くことが少なくなったと思いますが、例外もあります。こんな文がありました。(格別に長いというわけではありませんが…。)

 

 母親の介護をきっかけに東京暮らしを引き揚げ、築123年の無人の実家に46年ぶりに舞い戻り、コシヒカリの本場の新潟県の村で独り暮らしをするようになった男性の知人宅を訪れた際に、飯炊きだけはちゃんとやるようにしている、と琺瑯の鍋で炊いたご飯と生卵、わかめの味噌汁という簡素な昼食が、すこぶる充実して感じられたことも影響している。

 (朝日新聞・大阪本社発行、20181110日・朝刊、be7ページ、「作家の口福」、佐伯一麦)

 

 長文になると、主語-述語の関係が複雑になります。修飾語-被修飾語の関係も同様です。その他、あれこれと煩わしさが生じます。煩わしさというのは、筆者にとってということではなく、読者にとってです。

 引用した文の前に、これと同量程度の文があります。それは5文に分かれています。この長文を読み始めて、「引き揚げ」、「舞い戻り」、「独り暮らしをする」の主語がどうも筆者自身でないと勘づくのですが、断定できないままに「男性の知人宅」という言葉にぶち当たります。そうすると、そこまでの主語は「男性」だろうと思われてきます。ところが、「男性」で終わらずに、その男性の「知人」のことなのだろうかと迷います。

 「男性の知人」という「の」は一般に連体格ですが、ここでは同格で使っているのだろうという推測も必要になってきます。

 文も捻れています。「男性の知人宅を訪れた際に」、筆者はどうしたのでしょうか。たぶん「すこぶる充実して感じられた」という言葉に対応しているのでしょう。けれども、それはちょっと飛躍しています。

 「男性の知人宅を訪れた際に」、「(ご飯と生卵、わかめの味噌汁という簡素な昼食を)いただいた」のでしょうが、その述語は省略されています。「……際に」「……をいただいて」「……充実して感じられた」はずです。述語を一つ省略すると、文の据わりが悪くなります。

 このような文は、国語の教材として、文の仕組みを考えさせたりするときの材料になることがあります。けれども、国語教育では、問題のある文章について考えさせたりすることよりも、正しく、望ましい文章を多く読ませる方がよいと、私は考えています。

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