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2018年12月 7日 (金)

言葉の移りゆき(230)

心のこもらない戦術と、心のこもらない創作

 

 人工知能(AI)が進歩して、囲碁や将棋で専門家をうち負かすほどのものが出来ていると言います。AIの進歩には感心します。AIと棋士の対戦は、AI技術者の宣伝にはなっていますが、そんなことまでしなくてはならないのでしょうか。

 囲碁や将棋のAIは戦術の研究でしょうから、人間の心を存在させなくてもよいのでしょう。けれども、AIが、人間の心を表現する俳句の世界に侵入してくると、大きな疑問を感じます。

 大きく紙面を割いた、こんな記事がありました。

 

 かなしみの片手ひらいて渡り鳥-。膨大な古今の俳句の手法を学んだ人工知能(AI)が、着実に力を付け、俳人をうならせる句を詠みつつある。五感と語感を研ぎ澄まし、自然美や喜怒哀楽を五・七・五で表す伝統文化の世界に、AIがどう挑んでいくのか。

 札幌市にある北海道大調和系工学研究室で、大学院情報科学研究科の川村秀憲教授(45)がパソコンを操作すると、一瞬で画面が文字で埋め尽くされた。ひとつひとつが俳句だ。「1秒間で40句を詠みます」と川村教授は笑顔を見せる。 …(中略)… 

 研究を知ったテレビ局に人間との対決を打診され、研究を本格化させた。

 (朝日新聞・大阪本社発行、201812月3日・夕刊、3版、1ページ、藤家秀一)

 

 テレビだ、対決だ、宣伝だという次元でこの研究が行われているとは思いませんが、1秒間に40句を詠むことにどんな意義があるのでしょうか。AIが仮に人間の感性や独創性を備えるまでに至ったとしても、それは機械の作った俳句であって、人間が作ったものではありません。囲碁や将棋の戦術は人間の心が欠如していても練り上げることができます。俳句は人間の心が欠如していては、俳句とは言えません。俳句とは何なのかという根本問題をないがしろにしてAIが進化しても、機械の進歩でしかありません。

 

 もうひとつ、恐ろしい問題があります。この記事によると、AIが「人間の感性で句を選ぶ」というのが次の課題だと書いてあります。人間の作った俳句を選別して優秀作を選ぶというようなことが、AIにできるのでしょうか。仮に、AI技術者が「できた」と言った時点で、それに喝采する人たちがいるはずです。

 これまでも話題になってきましたが、生身の受験生が一生懸命になって書き上げた文章(記述式の解答や、小論文など)を、機械で採点するという提案がありました。「AIが人間の感性を持って、文章に優劣を付けることが可能になった」と、誰かが宣言した段階で、実際にそのような採点が行われて、合否判定の資料が作られるようになるのです。人間を機械が判定するという世の中が到来してもよいのでしょうか。それを恐ろしいことだと感じないような人間が、この世に大勢、既に存在してしまっているのかもしれません。

 AIの俳句のことを、こんなに大きな紙面で報じたのは、新聞社の判断です。このことと表裏一体をなすような記事を、しばらく前の紙面で目にしました。それは、次回で書くことにします。

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