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2018年12月 9日 (日)

言葉の移りゆき(232)

小さな大根の「たたずまい」

 

 「たたずまい」という言葉は、漢字で書くと〈佇まい〉と書きます。「たたずまう」という語の連用形が名詞になったのが「たたずまい」です。

 「たたずまう」の旧仮名遣いは「たたずまふ」です。「たたずむ」という言葉に、接尾語「ふ」が続いた言葉です。「ふ」は例えば「住まう()」「散らう()」などに見られるように、動作・状態などが続いていることを表す言葉です。「たたずまう」というのは、じっと立ち続けている、立ち止まり続ける、という意味です。

 したがって「たたずまい」は、立ち続けている様子、存在し続けているものの姿・有様、を表す言葉です。けれども、この言葉は何に対してでも使ってよいという言葉ではないと思います。「宿場町のたたずまい」「山のたたずまい」「雲のたたずまい」「人のたたずまい」などと使ってきました。ときには「詩のたたずまい」という使い方もありましたが、それは詩で表現されている全体の有りようを意味していると思います。

 そんなことを述べてきたのは、亀戸ダイコンを紹介した文章の表現が気になったからです。

 

 いまの江東区の亀戸香取神社周辺で栽培が始まり、この名がついた。根は最も太い部分でもゴルフボール大という華奢なたたずまい。透けそうなほど真っ白な茎が特徴だ。

 (朝日新聞・大阪本社発行、20181110日・朝刊、be7ページ、「とれたて菜時記」、篠原久仁子)

 

 「たたずまい」という言葉を〈姿・有様〉という意味で使うなら、何に対してでも使えることになりますが、小さなものに使うのはかまわないのでしょうか。

 古風な言葉であったり、ちょっと気の利いた言葉であったりして、普段あまり使っていない言葉を使う場合、ちょっと規格はずれの使い方をしても見逃されて、それを真似る表現が広がっていく、というようなことにもなりかねません。ことわざや慣用句の誤用の中にも、そのようにして始まったものがあるのかもしれません。

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