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2018年12月19日 (水)

言葉の移りゆき(242)

「コミュ力」が現れるのを待っていた

 

 前回の続きで、「コミュ力」についての話題です。国語辞典編纂者のコラムに「コミュ力」のことが書かれていました。

 

 「コミュニケーション」は、1世紀前から日本語に入っています。よく使う語なのに、なぜか略されることがありませんでした。「マスコミュニケーション」は、さすがに「マスコミ」と略されましたが。

 街で、コピーライター養成講座のポスターを見かけました。〈コピー力は、コミュ力である〉と訴えています。 …(中略)

 ネット時代、お互いのやりとりがこれまでになく頻繁になり、ようやく「コミュ」という略語が現れました。ほかに、コミュニケーション障害を「コミュ障」とも言います。これは失礼にもなる言い方です。

 (朝日新聞・大阪本社発行、20181124日・朝刊、be3ページ、「街のB級言葉図鑑」、飯間浩明)

 

 コラムの見出しは、「コミュ力 / 1世紀経って略語が現れた」です。国語辞典編纂者からすれば、待って待って、やっと現れてくれたという気持ちであるようです。「コミュニケーション」というような、よく使う語であり長い言葉は、略されて当然という考えが基本にあるようです。それは、日本語に対する、望ましい考え方なのでしょうか。疑問に思います。

 ポスターにある「コピー力」とは、広告などの文案・文章などを作る力のことです。それが「コミュ力」(のひとつ)であると言っているのです。

 それにしても、「マスコミュニケーション」が「マスコミ」と略されるのなら、なぜ「コミ力」にならないのでしょうか。あるいは、どうして「マスコミュ」と略されなかったのでしょうか。たぶん、その時その時の気分のようなものに支配されているのでしょう。

 ところで、国語辞典によれば、「コミュニケーション」の意味は、〈言葉・文字・身振りなどによって、互いに、意思・感情・思考・情報などを、交換・伝達すること〉というのが、おおよその共通認識です。

 たいていの国語辞典が、この言葉を名詞として扱っていますが、『三省堂国語辞典・第5版』には「(名・自サ)」とあります。自動詞であり、サ行変格活用をするという意味です。例えば「伝達」という名詞は、「伝達する」という動詞としても使われます。

 それにしても、「コミュニケーションする」は自動詞でしょうか。そんなはずはありません。自動詞ならば、情報が送り手から受け手に伝わるという意味です。「コミュニケーション能力」などと言う場合は、伝える力のことですから他動詞の働きをしています。順天堂大学の屁理屈も、他動詞でなければ意味を持ちません。

 ところで、「コミュ力」は、このコラムで紹介されたのが嚆矢ではありません。それより前に、朝日新聞が、振り仮名もなく、大きな見出しで使っていた例は、次回で紹介することにします。

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