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2018年12月22日 (土)

言葉の移りゆき(245)

「少子」も「多死」も、「金」に関わる問題意識

 

 世界の人口が膨張していることを懸念しながら、日本に関しては「少子」を嘆くという論調が続いています。長い歴史の中で日本の人口が1億人を超えたのは、そんなに昔の話ではありません。「少子」の問題点は、これまでのような金儲けができなくなるとか、税や保険などの負担が増えるとか、要するに「お金」がらみの問題であるようです。

 そもそも「少子」とは何なのでしょうか。ひとりの母親が生む子どもの数の平均は下降線をたどっていますが、日本の国から子供の数が瞬時に減るわけではありません。少しずつ減るのなら、それに応じた対応をすればよいわけです。「少子」というのは乱暴な言葉です。まるで、あっと言う間に子どもがいなくなるような印象さえ与えかねない言葉です。煽り立てるような言葉、強調しすぎる言葉と言って良いかもしれません。

 それと対応する言葉をマスコミが使い始めました。「多死」です。人口が1億人あれば、1年間に亡くなる人が多いのは当然です。これも「お金」がらみで使う言葉のようです。煽り立てる言葉、強調しすぎる言葉ということにおいては、「少子」とまったく同じです。

 こんな記事がありました。

 

 身寄りのない人の葬儀にかかる費用を、公的にどう賄えばいいのか。都市部の大半の自治体が、国のルールに反するやり方で、身寄りがない人の葬儀代を生活保護で賄うことを慣例化していた。自治体側からは「ルールが実態にあわない」との声が出ている。「多死社会」を前に、専門家は「弔いのあり方を整理するべきだ」と指摘する。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年9月28日・朝刊、13版、1ページ、中村靖三郎・山田史比古)

 

 本格化しつつある「多死社会」。亡くなった人の親族捜しや遺体の保管を余儀なくされている自治体からは、かさみ続ける負担に悲鳴があがる。 …(中略)

 国立社会保障・人口問題研究所の推計では、17年の約134万人から、最も多い40年には約168万人という「多死社会」が見込まれる。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年9月28日・朝刊、13版、3ページ、中村靖三郎・山田史比古)

 

 約134万人から、約168万人になることが「多死」なのでしょうか。昔から、人はどんどん生まれて、どんどん亡くなっているのです。

 社会において「少子」や「多死」という現象が起こるということは、〈多い-少ない〉ということではなくて、〈増える-減る〉ということでしょう。「増減」と「多少」という言葉を混同して使っているのです。

 そして、それらをいずれも経済面への影響だけで考えているのです。

 「少子」も「多死」も、生きるということに関わる根本問題です。けれども、この言葉が使われている場面には、生きる哲学も倫理も介在しません。金儲けができなくなるとか、経済的負担が増えるとかのレベルに終始しています。

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