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2019年1月 1日 (火)

言葉の移りゆき(255)

初春の年賀状に思うこと

 

 新しい年が明けました。年賀状が届くのは嬉しいことです。葉書を書くのも楽しいことです。

 けれども、私は昨年から年賀状を取りやめることにしました。ただし、親戚とか大先輩とか、こちらから取りやめを申し出るのがためらわれる状況もありますから、それらの方々は例外です。それでも、昨年末に書いたのは、これまでの3分の1ぐらいになりました。歳末にすることが減って、ちょっとラクになりました。

 私は手紙・葉書などをいただくのも差し出すのも大好きです。そうであるのに取りやめた理由は2つあります。私は、パソコンを使って文面を印刷しますが、宛名書きは自筆です。宛名書きまでパソコンに委ねるつもりはありません。

 年賀状を取りやめた理由のひとつは、同一の文面で大勢の方に送ることに飽きてきたからです。虚礼とは思いませんが、流れ作業のようにも感じたのです。これまでにも、一人一人に宛てて異なった文面で書き送ったことはありますが、そのやり方に専念しようと思ったのです。

 もうひとつの理由は、前記の理由と関連することですが、一人一人に異なった葉書を書くためには時間がかかります。年頭という時期にこだわらずに、ゆっくり書きたいと思うのです。年に一度ぐらいの消息の交換はしたいと思いますから、正月が過ぎてから、ゆっくり書こうと思うのです。

 そのやり方に、自分でも抵抗は感じています。いただいてから返事を書くのですから、自己本位です。けれども、同一の文面よりは、ゆっくり一人ずつに宛てて書くということを選びました。

 今年いただく年賀状は、減るだろうと思います。でも、ゆっくり返事を書くのは嬉しいことです。姿勢を明らかにするために年賀葉書ではなく通常葉書を使います。

 

 さて、年末のコラムで、こんな文章を読みました。

 

 受取人の住所、差出人の名をはがきのどこに書くか答えなさい-。9年前、全国学力調査で出題されると、小6の3人に1人が誤って答えた。結果は日本郵便の社員に衝撃を与える。翌年から始めたのが、希望に応じて郵便局員らが教室に出向く体験授業だ

 最も多いのは小学校。昨年度は全国300万人に手紙のイロハを教えた。 …(中略)

 いやはや手紙のやり取りが細るわけである。それでも、相手を思い、手間をかけ、季節を運ぶ手紙という文化はそうそう簡単には滅ぶまい。

 (朝日新聞・大阪本社発行、20181228日・朝刊、13版、1ページ、「天声人語」)

 

 誤答の多さに衝撃を感じなければならなかったのは、日本郵便の社員ではなく、父母や教員こそでなければなりません。手紙・葉書を書かない父母が子どもに教えることはできず、教員も教えていないということでしょうか。家庭教育や学校教育がなおざりになっているのです。教えるということは、身に付くようにするということです。

 郵便局員が全国300万人に体験授業をするのを、傍観していたのは父母や教員ではないでしょうか。驚きを通り過ぎて、怒りを感じます。ひと任せの指導をしていてはなりません。

 外国語教育やパソコン指導をする前に、しなければならないのは日常の言語生活の指導です。文部科学省から一般市民まで、考え直さなければならないことはいっぱいありますが、これも端的なひとつの例です。

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