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2019年1月 2日 (水)

言葉の移りゆき(256)

見出しの「勇み足」は依然として続く

 

 今日は新聞の休刊日です。昔は、一年のうちで1月2日だけが休刊でした。それでも、寂しい思いをしたものです。

 現在は、新聞の購読者が減っているのに関わらず、休刊日が月例行事になってしまいました。新聞配達員に月1回の休息日を与えるというのは口実であるのが明瞭です。それなら、土曜日・日曜日の新聞は駅売りに限って発行を続ければよいのです。放送の世界は年中無休ですから、新聞もできないはずはありません。新聞離れを加速させている理由の一端に、新聞社の姿勢があることは否定できません。

 

 さて、新聞の見出しが日本語を壊す役割を果たしているということを、私は何度となく指摘してきました。

 引用するのは、芸能人がまったく関わっていないのに、いかにも芸能人が推奨しているかのように思わせる宣伝広告についての記事です。

 

 「マツコも驚いた」「坂上忍も絶賛」「たけし『天才だね』」。こうしたタイトルのブログ記事で健康食品や化粧品などを宣伝するネット広告の中に、実際にはテレビ番組で紹介されておらず、芸能人もまったく関わっていないものがあるとして、広告会社などでつくる「日本広告審査機構」(JARO)が問題視している。

 (朝日新聞・大阪本社発行、20181114日・朝刊、13版、9 ページ、栗林史子)

 

 この記事の見出しは、次のようになっています。

 

 「お墨付き」広告 虚偽横行 / 「マツコも驚いた」「たけし『天才だね』」 / ブログに掲載 JAROが注意喚起

 

 引用したのは、記事全体の一部分です。記事は引用部分の5倍ほどの長さです。この記事の中には、「お墨付き」という言葉はどこにも使われていません。引用した記事の中の言葉を使って、この見出しを批判してみましょう。

 「こうした〔見出し〕で〔記事内容を表現しようとしているもの〕の中に、実際には〔記事の中では使われておらず〕、〔記者自身もまったく関わっていないもの〕がある」ということです。見出しを付ける人が、自身の判断で(記者の了解を取っているか否かは知りませんが)、言葉を選んでいるのです。

 見出しの力は大きいと思います。見出しの言葉は、記事内容に「お墨付き」を与えることにもなりかねません。しかし、記者の側からすれば「虚偽」の(=記者本人にとっては心外な)言葉が使われている(横行している)かもしれないのです。

 「お墨付き」とは、権威のある人から得る保証のことです。健康食品や化粧品の専門家でない芸能人が、仮に宣伝に関わったとしても、それは宣伝のフレーズに過ぎず、「お墨付き」とは言えないでしょう。この記事を書いた記者が「お墨付き」などという言葉を使わなかったのは、正しい言語表現であると言うべきでしょう。

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