« 言葉の移りゆき(259) | トップページ | 言葉の移りゆき(261) »

2019年1月 6日 (日)

言葉の移りゆき(260)

「うまい」を表現する方法

 

 お正月には美味しいものが食べられるから待ち遠しいというのは、私が子どもであった頃の話です。現在は飽食の時代ですから、テレビを見ていると、晴れや褻の区別なく、美味しいものを食べ散らかしている人がいるように思います。

 美味いものを食べて「美味しい」「うまい」という言葉を発するのは、自然なことだと思います。けれども、それは日常生活での話です。

 テレビに氾濫する食べ物の番組で、毎日毎日、同じような感想の言葉を聞かされたのではたまりません。

 こんな記事がありました。

 

 土井善晴の美食探訪 ★BS朝日 夜7・00

 食べ物を口にした瞬間、芸能人が目を見開いて「ん~、うまいっ!」。そんな光景に正直、辟易する。 …(中略)

 老舗のあんこう鍋や上海蟹の姿蒸し、手間ひまかけたビーフカレー。垂涎の料理を出されても、土井は「不機嫌なのか?」と思うくらい静か。しかし「フフ……」と頬が緩む。はしのえみが必要以上に出過ぎないのが、落ち着いた雰囲気に一役買っている。

 (朝日新聞・大阪本社発行、201812月9日・朝刊、13版、20ページ、「試写室」、山本悠理)

 

 テレビの場合、食べ物は目の前に映し出されています。例外はあるにしろ、たいていは美味いものを紹介しようとしています。「うまい」という言葉が発せられるのは当然です。テレビには、それを「うまい」という言葉以外でどう表現するかが試されているのです。出演者だけではありません。「うまい」という言葉で満足してしまうような制作者も落第です。

 「うーん」とか「うまい」しか言わない人間は、言葉を失っているとしか思えません。目の前に映像があっても、それだけでは伝えられないことがたくさんあるはずです。それを伝える努力が必要です。伝える義務が、出演者や制作者にあるのです。伝える方法は、言葉、表情、しぐさ、その他いろいろです。それが工夫されている番組、それを伝えることができる出演者でなければなりません。

 私は、人前でものを食べるシーンに出演する人間の心理はよくわかりませんが、そのような番組ばかりに出演している人をよく見ます。料理の説明などは抜きにして、食べるだけが仕事という人がいます。そのようなとき、単に「うまい」という一語や、洒落言葉だけで済ませてしまうと、続きを見る意欲が減退します。この新聞記事で紹介されているテレビ番組は、お見事!と言いたくなる番組のようです。

 一方、同じような内容をラジオで伝える場合は、目の前に映像がありません。その食べ物がどのようなものであるかという説明に基づいて、聴取者は想像を働かせることになります。食べ物の説明をしないで、むしゃむしゃ食うだけを仕事にしているラジオ出演者は、見当たらないと思います。ちゃんと言葉で伝える努力をしているのですから、説明を尽くした後に一言「うまい」があっても気にはなりません。

 

 ところで、テレビ番組を紹介する記事にも同じことが言えます。筆者自身が勝手に興奮したり、キャッチフレーズだけを振りかざして書いたりした記事は、「ん~、うまいっ!」の一言と同類です。それに比べて、この「試写室」の筆者は、番組の内容や雰囲気をきちんと伝えてくれています。(引用したのは記事の一部です。)

 私はこの番組を見たわけではありませんが、この記事で、画面が想像できるように思います。AIに書かせたら、このような記事は生まれません。

|

« 言葉の移りゆき(259) | トップページ | 言葉の移りゆき(261) »