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2019年1月10日 (木)

言葉の移りゆき(264)

名前なのか、説明なのか

 

 例えば、店頭で、「生産者の姿が見える産地直送、無農薬にこだわった、旬の季節限定、とれたて新鮮完熟トマト」という名称のものが並んでいたら、買おうという気持ちになるでしょうか。ぶっきらぼうに「トマト」と書かれたものが横に並んでいたとしたら、どちらを買おうと思うでしょうか。

 言葉には、素直に受け取れるものと、疑ってかかるのがよいものと、2種類があります。あまり言葉が過ぎると、眉に唾をつけたくなるものです。

 人間には、美辞麗句とわかっていても、それに操られてしまう心理があります。だから、売る側も言葉を飾ろうとするのでしょう。

 ところで、長ったらしい商品名は、それが全体として名前であるのでしょうか。それとも説明(修飾語)なのでしょうか。きちんと区別はつけにくいように思います。

 こんな文章を読みました。

 

 食べ物の名前が長くなったなあ。

 と、コンビニの棚の前で思う。「なんとかにこだわった」「どこそこ産の」「なにダシ仕立ての」「一日分の野菜が取れる」「まるごと」「もちもち」「行列ができる」。多種多様な(と言いつつパターン化した)修飾語が、複数組み合わさってラベルに並んでいる。

 (朝日新聞・大阪本社発行、20181015日・夕刊、3版、5 ページ、「季節の地図」、柴崎友香)

 

 食べ物だけではありません。本の名前にも同じような傾向が見られます。元日のいくつかの新聞は、1ページの下に書籍広告が並んでいます。『子どもには聞かせられない 動物のひみつ』『東大教授がおしえる やばい日本史』などという書名の広告があります。興味を引きつけたり権威付けをしたりするところは、食べ物の広告と変わるところがありません。

 

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