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2019年1月12日 (土)

言葉の移りゆき(266)

「ばえる」の欠落感

 

 年末になると「今年の〇〇」というような企画が発表されます。言葉や文字に関するものもいくつかありますが、一過性の感じがしてそのうち忘れられてしまうでしょう。言葉の場合は、人々の共感を得られないものは、文字どおり「今年の」ものに過ぎないと思います。数年経っても命脈を保つのは少ないはずです。

 こんな記事を読みました。

 

 「今年の新語2018」(三省堂)の大賞は「ばえる(映える)」だった。ここでいう新語とは、今後も多くの人に使われ、辞書に載せる候補になるだろうと判断したものを指すのだと言う。そのため「辞書を編む人が選ぶ」というサブタイトルもついている。定着するかどうかわからない流行語とは一線を画す位置づけとなっている。

 「ばえる」の語釈の一つに「SNSのインスタ映えの『映え』を動詞化したもの。写真や映像などが、ひときわ引き立って良く(おしゃれに)見える」とあり、「おもにSNSで写真を投稿し合う人たちの間で用いられる語」といった注釈もつく。

 (朝日新聞・大阪本社発行、20181219日・夕刊、3版、5ページ、「ことばのたまゆら」、前田安正)

 

 「辞書を編む人が選ぶ」というサブタイトルがついているのですから、よほどの自信があるのでしょう。けれども、「ばえる」は国語辞典に載るほど定着する言葉なのでしょうか。そんなふうには思えません。

 「ばえ」の付く言葉は、インスタ映え、夕映え、出来映え、見映え、などがありますが、いずれも複合的な言葉の後ろ半分です。「は()えある優勝」などと言うことはありますが、「はえ」が名詞として使われることは少ないのです。

 連濁によって「ばえ」となった言葉を動詞にして「ばえる」と言うのは、何とも不安定な言葉です。よちよち歩きの言葉です。

 「映える」という言葉はしっかりとした安定感のある言葉です。それに対して、「ばえる」は複合的な動詞の後ろ半分だという感じは否めません。前にある言葉が欠落しているのです。その不安定感が、この言葉の致命的な欠陥だと思います。

 濁音で始まる動詞であっても「だま()す」「ばれる」などには欠落感はありません。「ばえる」がそれらの言葉と肩を並べる力を持つはずはありません。

 「ばえる」。それは新語・流行語としてしばらくは使われるでしょう。記事にあるように、「おもにSNSで写真を投稿し合う人たちの間で用いられる語」であって、仲間内の言葉に過ぎません。一年経って、今年の歳末に「ばえる」がどのような運命になっているか、それをぜひ記事に書いてほしいと思います。

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