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2019年1月25日 (金)

言葉の移りゆき(279)

細かく分ける言葉、分けられない言葉

 

 雨の降り方には様々なものがあります。雨についての日本語は豊富です。小雨、大雨、にわか雨、通り雨、霧雨、小糠雨、氷雨、春雨、五月雨、時雨、遣らずの雨、……。並べあげたらキリがありません。

 細かく分けて表現するのは、そうする必要があってのことなのですが、一方で、私たちは様々の意味を込めたことを一語で表していることがあります。

 次の文章を読んで、はっとさせられました。

 

 あるとき。日本研究のため来日したイギリス人がやってきて、こんなことをいった。日本人は何かにつけて「こころ」をもちだして、いろんな文脈で使っているが、これがなかなか英語にならない。ドイツ語やフランス語のも難しい、と。英語でいうと、

 ハート/スピリット/マインド/ソウル

など、さまざまな表記がそれにあたりそうであるが、どれひとつぴったりくるものがない。ぜんぶひっくるめてもしっくりくるようにはとても思えない……。 …(中略)

 その後、私の前に姿をあらわした彼は、晴れ晴れとした顔をして旅の成果を語りだした。四国の八十八札所を勝手気ままに歩いてきて、すこしは日本人の「こころ」に近づくことができたような気がする。そこでその体験をもとに論文にまとめようと思っているのだが、いざその「こころ」を英語にしようとしたとき筆が動かなくなってしまった。思考がとまってしまったのだ。それでいたし方なく、

 ココロイズム

と表記することにした、といって、私の顔をじっとうかがっていたのである。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年1月5日・朝刊、be9ページ、「生老病死」、山折哲雄)

 

 雨は、降り方により、季節により、それがもたらす情緒により、あるいはもっと別の分類により、様々に言い分けることができます。

 人間の心の中のことについても、様々な視点・観点などから言い分けることができますが、それをまとめて「こころ」と言ってしまうこともあります。大きなまとまりで表現しなければならない場合があるのですが、その大まとめにした言葉を表す外国語がないというのは、わかるような気がします。

 考えてみると、日本人が考えている「あめ」という大きな枠組みを、いとも簡単に「レイン」という英語で表現することがありますが、その段階で、何かの行き違いが生じている恐れがあるかもしれません。

 言葉は万能ではありません。私たちは、自分の考えていることであっても、それをつぶさに言葉で表現することはできません。自分のことだから表現できるはずだと考えるのは思い上がりであるように思います。まして、一つの言語と他の言語との差は、とてつもなく大きいのです。

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