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2019年1月26日 (土)

言葉の移りゆき(280)

「未病」という言葉への違和感

 

 「未来」という言葉からは、希望を感じ取ることができます。「未熟」という言葉は、まだよく実らないとか、上達していないとかの意味ですが、実ることや上達することを期待する言葉です。「熟」は望ましい状態です。「未知」という言葉も、「知」への期待が込められています。私は「未」という文字を、そんなふうに感じ取っています。

 だから、「未」と「病」が結びついた言葉を見て、違和感を持ちました。

 

 「未病は、治すという呪縛からの解放でもあります」。本紙の暮れの特集記事で、大谷泰夫・神奈川県立保健福祉大学理事長のそんな発言が目に留まった。

 「人生100年時代の未病最前線」と題したシンポジウムを詳報したその記事によれば、健康とは言えなくてとも病気ではない状態を「未病」という。今ある不調が悪化するスピードを抑え、体の劣化と共生する方法を考える。それが大切だと大谷氏は説く。

 (読売新聞・大阪本社発行、2019年1月5日・夕刊、3版、2ページ、「とれんど」、棚瀬篤)

 

 ここに書かれていることには賛成です。病を治すという呪縛から解放される気持ちをもつこと、今ある不調が悪化するスピードを抑え体の劣化と共生する方法を考えること。そういうことが大切だという考えには、励まされるような思いを持ちます。

 だからこそ、そういう考え方を「未病」という言葉で表してほしくないのです。「未病」は中国で古くから使われてきている言葉のようですが、言葉としての印象は良くありません。

 「未病」という言葉は、人はいずれ病気になるが現段階では病気ではない、と言っているように感じるからです。人の命は有限であり、その死は、何らかの形で病気と関係があるということはわかります。けれども、生きていることは、病気の前段階だというような表現をしてほしくないと思うのです。

 繰り返しますが、「未病」の「病」という文字は、「来」「熟」「知」のような望ましい状態を表す言葉ではないのです。

 

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