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2019年1月28日 (月)

言葉の移りゆき(282)

見出しの言葉には何の規制もない

 

 新聞社には用語用字辞典のようなものがあって、それに基づいて記事が書かれているはずです。

 例えば、使ってよい外来語や、使うことを避けたい外来語についての区分もあるだろうと思います。記者は言葉に細心の注意をはらいながら記事を書いているはずです。

 ところで、1ページの半分以上のスペースを占める連載記事の見出しは次のようになっていました。見出しはその記事の内容を端的に示す言葉で、記事の内容が予想できるような言葉のはずです。

 

 コスパ良く 確実に感動したい / ライブ・演劇「正しい見方」確認■「己の眼」本来はそれぞれ

 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年1月7日・朝刊、13版、31ページ、「感情振動 ココロの行方⑤」、増田愛子・伊藤恵里奈、見出しの言葉)

 

 記者が細心の注意をはらっても、見出しを付ける立場の人には何の規制も行われていないようです。記事は書き言葉で書かれても、見出しは俗語や流行語などを含めて、話し言葉のくだけたものになっています。記事はきちんとした日本語で書かれても、見出しは外来語やカタカナ日本語に置き換えられてしまいます。見出しの無軌道ぶりについてはこれまでも、このブログで指摘してきました。

 はっきり言って、上記の記事は、まったく理解できない見出しがついています。見出しの言葉がバラバラで、記事の内容を予想できません。見出しは記者自身の責任ではありません。

 「コスパ」というのがコストパフォーマンスの略であるのだろうということに気付くまではしばらく時間がかかりました。「コスパ」は話し言葉に使われているかもしれませんが、新聞は書き言葉の文章だということを、整理記者は忘れてしまっています。

 本文中には、コスパという言葉も、コストパフォーマンスという言葉も使われていません。「費用対効果」「コスト意識」という言葉がそれぞれ1度だけ使われています。だったら見出しも「費用対効果」にすべきでしょう。

 実は、「費用対効果」も「コスト意識」も「正しい見方」も、取材対象とした人の談話の中の言葉です。記者自身は本文で、その言葉を使っていません。言うならば、通りすがりの言葉でしかありません。

 新聞は、中身さえ伝われば良いという姿勢に変化してしまったようです。そして、美しい日本語を守ろうとする姿勢はかなぐり捨ててしまったようです。

 そのことが、新聞の末路を暗示しているということにならないようにと、祈らざるをえません。

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