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2019年1月31日 (木)

言葉の移りゆき(285)

接尾語「的」の用法

 

 「的」という接尾語は、例えば『三省堂国語辞典・第5版』では、次のように説明されています。この説明に異論はありません。

 

 ①…についての。…の。「哲学-」

 ②…のような。「家庭-」

 ③…の状態にある。「合法-」

 ④…らしい。「貴族-」

 ⑤…にかなう。「論理-」

 ⑥…の性質をもつ。「悲劇-」

 

 ところで、次のような表現に出会うと、「的」には新しい語釈が必要ではないかと思ってしまいます。

 

 大阪は、ほんとうに大阪的か?

 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた

 「やっぱり東京人の偏見だったんや!」溜飲を下げる大阪人続出!

 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年1月5日・朝刊、13版、3ページ、幻冬舎の広告)

 

 幾つものフレーズが羅列されている広告(新書『大阪的』のPR)から、任意に抜き出しました。

 気になるのは「大阪は、ほんとうに大阪的か?」という表現です。大阪はまぎれもなく大阪ですから、大阪的か否かと問いかけること自体がおかしなことです。

 いくつかのフレーズを眺めていると、「大阪は、ほんとうに大阪的か?」という表現は、〈大阪はこんな町だというイメージが作られた。(それは東京人などの偏見によって作られたのであるが、)その大阪に被せられたイメージは、本当に大阪の町のまぎれもない姿であるか」という意味であるように思われてきます。

 仮にそのように解釈すると、接尾語「的」の働きは、前記の辞典の説明の④に近いのですが、それにピッタリするわけではありません。「貴族的」というのは、「貴族」というしっかりとしたイメージがあり、それに近いということです。

 「大阪的」の用法はそれとは異なります。大阪の町に対して、意図的に作られたイメージがあって、本物の大阪がそのイメージ通りである場合が、「大阪的」という言葉にあてはまると考えているのです。

 勝手に作り上げたイメージに当てはまるものを「〇〇的だ」と言い、当てはまらないものに向かって「それは〇〇的でない」などと言う表現がこれから増えていくような気がしないでもありません。

 

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