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2019年2月 6日 (水)

言葉の移りゆき(291)

「合い」という接尾語(造語成分)の主観性

 

 「頃」と「頃合い」はどう違うのでしょうか。「意味」と「意味合い」はどう違うのでしょうか。

 「頃」とは、ある時期(や、その前後)を言う言葉ですが、「頃合い」とは、ちょうどよい時機、ちょうどよい程度、というような意味です。「頃合いを見図る」などという表現があるように、「頃合い」には主観的な要素が強くなっています。

 さて、次の文章における「意味合い」はどんな働きをしているのでしょうか。

 

 このように元号の使用には天皇の支配に服するという象徴的な意味合いがある。リベラルが元号廃止を唱え、保守派が反発するのも、このためだろう。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年1月15日・朝刊、10版、29ページ、「呉座勇一の歴史家雑記」、呉座勇一)

 

 元号の是非を論じるつもりはありません。「意味合い」という言葉を考えたいと思うのです。「象徴的な意味合いがある」と言っても「象徴的な意味がある」と言っても大差はありません。

 「頃合い」と同様に、「意味合い」にも、〈ちょうどよい意味〉すなわち〈都合のよい意味づけ〉というような要素が加わっているのかもしれないと思います。前後の事情や文脈に適合するような場合に、この「意味合い」という言葉は、便利なものとして使われているような気がするのです。

 「意味合い」はエッセーでは使えても、論文では使うのがはばかられる言葉ではないかと思うのです。

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