« 言葉の移りゆき(298) | トップページ | 言葉の移りゆき(300) »

2019年2月14日 (木)

言葉の移りゆき(299)

「国魚」で輸出拡大

 

 この連載の(292)回で、国技と国石のことを書きました。その続きです。こんな文章がありました。

 

 日本の国鳥はキジで、国蝶はオオムラサキである。鳥と昆虫の学会がそれぞれ昭和の時代に選定し、広辞苑にも明記されている …(中略)

 国魚にニシキゴイを推す動きが浮上している。輸出拡大につなげようと、自民党の有志が議員連盟を発足させるという。そこで何が国魚にふさわしいか、同僚と話してみたが、めでたいのタイだ、清々しいアユだ、食卓でなじみ深いサンマだ、と議論百出、結論に至らなかった

 (読売新聞・大阪本社発行、2019年1月23日・夕刊、3版、1ページ、「よみうり寸評」)

 

 国石を日本鉱物科学会の総会だけで決めるのはどうかと疑問を持ちましたが、鳥も蝶も同じようなことだったのですね。こういうものを決める際に、国民全体の議論などはできないでしょうから、学者の集まりで決めるというのは、一般の人にも納得しやすい方法であるのかもしれません。(ただし、国石、国鳥、国蝶というものを決めなければならないかどうかというのは、別の問題です。)

 国石について、一部の人たちへの利益誘導のような気配があっては困ると書きましたが、国魚の場合は、正真正銘の利益誘導です。ニシキゴイの輸出拡大を図るためにニシキゴイを国魚にすると、堂々と主張しているようです。ひとつの党の議員で推進するというのも、国鳥・国蝶・国石とは異なったやり方です。

 国魚を何にしようかということを国民全体で議論したら、たぶん決まらないでしょう。国民が関心を持たない間に、そそくさと決めてしまおうといういう目論みかもしれません。 学会ではいろいろな候補から選んだことでしょう。ところが、ニシキゴイの場合は、それを国魚にしようという目標点が決まっていて、それをいつ、どのようにして決める(決めてしまう)のかということだけの方法論になっているようです。

 そんなふうにして決めるのなら、誰もそれを本当の国魚だなどとは思わないでしょう。言葉はみんなの納得、共通理解の上で成り立つものなのですから。

|

« 言葉の移りゆき(298) | トップページ | 言葉の移りゆき(300) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 言葉の移りゆき(299):

« 言葉の移りゆき(298) | トップページ | 言葉の移りゆき(300) »