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2019年2月19日 (火)

言葉の移りゆき(304)

表現の省略ということ、一つを選ぶということ

 

 私たちは、考えたり感じたりしたことを、つぶさに言葉で表現することなどは、とうてい出来るはずはありません。表現できることは、考えたり感じたりしたことの一部でしょうし、考えたり感じたりしても表現することを避けたり、省略することもあるでしょう。

 興味深い文章を読みました。

 

 先日も劇団員とメールでやりとりしていると「り」という1文字だけのメールが届いた。そこで「了解」の略語として学生を中心に「り」が使われていると知り驚いた。略語の中で最も短いと思う。最初は違和感があったが何度か目にしているうちに、今回はどんな「り」だろう、と台本に書かれたセリフのように意図を想像するようになった。

 考えてみれば演劇は「省略」から逃れられない芸術だ。いくら写実的に作ろうとしても現実に在るものを全て舞台にあげることはできないし、上演される物語は現実の時間を省略したものだ。つまり演劇創作は「何を省き、何を舞台に残すか」にかかっている。

 (毎日新聞・大阪本社発行、2019年2月14日・夕刊、3ページ、「劇作の周辺」、笠井友仁)

 

 この文章の筆者の意図とは違うと思いますが、私はこの文章を読んで、こんなことを考えました。

 ものごとを了解する・了解しないという結論を導き出すまでに、人はいろいろなことを考えているはずですが、結論は「了解する」または「了解しない」という言葉になって、他者に伝えられます。いろいろな葛藤があったにせよ、全ての思考過程を省略すれば、「り」の一文字が結論です。

 100%の了解もあれば、五分五分の考えを行きつ戻りつした挙げ句の了解もあるでしょう。けれども、結果の言葉は「り」という一語なのです。二者択一などという場合は、いろいろ考えても、どちらかの一つを選択せざるを得ないことになります。

 この日の夕刊のトップ記事は、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移転を巡り、埋め立ての賛否を問う県民投票が告示されたというニュースです。

 「賛成」「反対」「どちらでもない」の3択で県民の意思を問うのだと言います。100%賛成の人や、100%反対の人は少ないのではないかと思います。いろいろな思いを持った人が、どちらを選ぶかと迫られたとき、「どちらでもない」という選択肢が設けられている場合は、それを選ぶ人が多くなっても不思議でないように思います。

 悩み抜いた末に賛成または反対に傾くことができなかった人が「どちらでもない」を選ぶ可能性がありますし、この問題に関心の薄い人が「どちらでもない」を選ぶ可能性もあるでしょう。

 私たちは毎日の生活の中で、選択や省略を繰り返しているのですが、とてつもなく大きな選択(何を残すか)をしなければならないときには、大きな大きな割愛(何を省くか)を迫られることにもなりかねないのだと思うのです。

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